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都市のウォーカビリティというけれど  (in アメリカ)

半・郊外のぎりぎりウォーカブル

今住んでいるところはニュージャージーで、なんとか歩いて暮らせるかな・・・という感じで、いわば半・郊外の環境です。
一番近いスーパーは歩いて10分(あまり好きなスーパーではないですが)駅は良くて徒歩15分、アジア系スーパーは歩いて40分で(バスは時間通り来ない)まわりには商店街はありますが、シアトルのウォーカブルで多様なお店がそろっていた状況とは比べようもありません。
シアトルではHマート(韓国系スーパー)は徒歩や公共交通利用などで3軒は歩いてアクセス可能でした。ホールフーズ(高級スーパー)も徒歩圏内に二軒。日系の巨大スーパーUwajimayaも公共交通で行けます。
すばらしくウォーカブルな環境でした。

私は車を運転しません。なので、こちらに来てからはライドシェアのUber,Lyft,そして食料品を運んでくれるインスタカート(食品購入代行サービス)、Weee!(アジア系インターネットスーパー)のお世話になっています。重いモノを運んでくれるので、むしろ楽になりました。
大好きなトレーダージョーは食品購入代行サービスを受け付けていないので、マンハッタンに行ったときに買うくらいです。

20年前にはこのようなサービスが無かったので、当時シアトルに行ったのは生活面でも良かったなと思います。
今はこのようなシェアリング・サービスをフル活用です。半・郊外で車がなくてもどうにかなっています。

これでも、この地域はウォーカブルなスコアでかなり高得点・・・アメリカの他の地域はどんだけ歩きにくいんだと思いつつ、そうは言っても半・郊外特有の良いところがたくさんあります。

1.静か
叫んでいる人も、銃声も、車の重低音も聞こえません。聞こえるのは鳥の声です。
2.安全
外から人が来るようなところではないので、歩いている人も少ないですが、基本的には安全です。10代と見られる人たちも自分たちで外で遊んでいます。(シアトルでは子どもたちをあまり見かけませんでした)
3.きれい
まちなみは美しく、匂いもゴミも気になりません。

近隣には大きな公園がいくつかあります(セントラル・パークと違って人がいませんが・・・)

「はじめてのおつかい」がアメリカで話題

上記のことに関連して、ですが、こちらでは先日から日本の「はじめてのおつかい」(Old enough!)がnetflixで配信されて話題になっています。テレビで紹介されているのですが、コメンテーターがこれは非常識だとか、自分の子どもには絶対させないとかなどと言うこともありますが、一方で、子どもを見守る様子など、アメリカが失ったコミュニティを感じさせる、というような意見もありました。
このようなことが成り立つのは、もちろん注意深くセッティングされたものではありますが、安全に歩けるという大前提があってのことだと思います。

最近のNYC

最近は毎日のようにブロンクスやブルックリン、マンハッタンなどで歩行者や公共交通利用者が巻き込まれる事件が起こっています。先日のブルックリンの地下鉄での無差別発砲事件もそうですし、子どもも含めて、流れ弾で全く関係の無い人が亡くなるようなことも複数回起きています。
基本的には、密度が高くて、小さなお店が並び、歩行者が行き交うことで安全が保たれ、ウォーカブルで活気のあるまちがつくられるというジェーン・ジェイコブズ的な理論に深く賛同するのですが、最近のNYCやシアトル中心部を見ていると、ずっと信じてきたこのような理論が少しほころんでいるようにも思います。
見守る人がいることによって路上の安全がなりたつというのはもしかするとジェイコブズの本が書かれた1960年代的な考えなのかもしれません。

ブルックリンのダウンタウンも開発が進んでいますがDUMBOやウィリアムズバーグのような
ガイドブックでよく知られているブルックリンとはちょっと雰囲気が違います。
最近、本当にブルックリンで事件が多いです。

ニューヨークではオフィス勤務の人たちがまだ戻っておらず、今後も本当に戻ってくるのか分かりません。ヨーロッパ系の観光客はかなり目立つようになりましたが、アジアからの観光客はまだ戻らず、2022年はオフィスワーカーも戻っていないのに家賃だけ上がり、特に中間層が都市からいなくなっていると言われています。
パンデミックで貧富の差は激しくなり、「仕事でまちに来なくて良いこと」がある意味でステータスになっています。

そういう考えるとジェイコブズの言うことも正しくて、路上を「見守る人」が賃料の上昇やリモート勤務でいなくなったということは犯罪増加の背景の一つとしてあるかもしれません。
もうひとつは、パンデミックでスポーツ活動やちょっとした集まりなのどのコミュニティが無くなったことで、ストレスを抱えた人が増えたことが犯罪の増加につながっているという話も聞きました。この場合、確かに「ちょっと歩いて」「偶然に話をしたり会ったりする」というウォーカブルなコミュニティが非常に重要になります。
本来NYCはそういう場所を提供していたんだな・・・と思うのですが、イースターの集まりが今年から復活するなど、これも徐々に元に戻りつつあるようです。

ミッドタウン(超・中心部)の路上にはたくさんの人が戻っています

シアトルの時にもおなじようなことを書いたとは思いますが、ウォーカビリティは安全が大前提であって、路上に「見守る人」と「コミュニティ」が戻ってくる循環が早く軌道に乗ってくれるようにと思います。