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抱擁

抱擁、それは安心。わたしは誰かを抱きしめるのも、抱きしめられるのも大好きである。他人の体温に、その人が、生きている感覚に安心する。大事な人にはいくらでもハグしたい。この前は別れ際、一度運転席に乗った女友達をわざわざ車から降ろしてまで抱擁した(させた)。

子供の頃、好きな友達とよくハグした。手も繋いだ。帰ったらネコを抱きしめた。一年生のとき学童で仲良くなったさりなちゃんという女の子と抱きしめ合って、そのまま遊びでキスした。学童の小さいトイレ。親の帰りを待っていた19時。他の子は帰った。黄色い光。何が良いのか分からなくて、ふたりでゲラゲラ笑いあった。
中学生の頃、ななちゃんという女の子とよく抱きしめ合った。わたしより背が高くて、柔らかくていい匂いで、その子とのハグが好きだった。わたしはそっとやちょっとで体がすぐに熱くなるのだけれど、そうするとななちゃんはすぐに気づいて、眠い?とわたしに聞いた。ななちゃんの歩き方が、白い肌が好きだった。メイクもお酒も花火もななちゃんが教えてくれた。


抱擁にはひとつだけ衝撃的な思い出がある。17歳くらいの頃、入り浸っていた友人の家で、帰宅した友人の母と、友人がわたしの目の前で何気なく突然、ハグした。わたしはそのとき目の玉が飛び出るくらいびっくりして、ショックだった。ほかの家庭では、こんなことが行われているんだ、と震え上がった。少なくとも物心ついてから、わたしは家族とハグしたことなどなかったし、したいと思ったこともなかった。


時は流れ、大人になると、抱きしめ合うのは恋人くらいになった。しかも、あんまりハグすることは、ベタベタすること、つまり悪いことであるらしかった。更に言うとわたしは性欲が全くないので、ハグが前戯に含まれることを認識してからは、怖くて自分からできなくなってしまった。


胸のなかで
まるで私が聞き分けの悪い赤子のようにぎゅっと

カネコアヤノ『抱擁』



22歳のとき、原さんという背の高い同僚と新宿駅を歩いていた。わたしたちは疲れ切っていた。深夜23時、南口の小田急改札の前。白い光の中で原さんがわたしをつついて言った。

「見て。ふたりの世界」

言われたほうを見ると、男女ふたりが、抱きしめ合っていた。
ただ、それだけ。
改札前の柱。そこには、なんにもなかった。だけど、"ふたり" の世界は、完璧だった。そこには全てがあった。ふたりで、" ひとつ" の、その世界は。


彼等を横目に、原さんが隣でふふっと笑った。わたしはなんだか嬉しくなって、彼女をうしろからガバっと抱きしめた。「ちょっと!なに!」と言い、原さんもまた笑った。高いヒールでよろけた。彼女はバングラデシュと日本のハーフで、肌も瞳も薄いブラウンの、端正な顔立ちだった。


思考を放棄できるなら、大事なひとが同じ部屋で立っているだけでハグしたい。人体なんていらない。相手が生きていることを確かめて、わたしはそのまま溶けて消えたい。


【余談】
朝日新聞系列の女性向け投稿メディア「かがみよかがみ」にてエッセイを掲載させていただきました。感謝。


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