【ゴーゴリ「死せる魂」ちょっと書評】
noteにいると、このような眠りなど得たことのないような、この先も得ることがないような、頭が回り、繊細で、生きづらそうな人が、たくさんいるようにみえる。だけども現実世界では一向に出会わない。一体そういうひとたちはどこで生きているのだろうか。じつに不可解である。
ゴーゴリ「死せる魂」を読んだ。訳は工藤精一郎。
小さな都市に現れた、謎の紳士チチコフ。彼は社交の場に顔を出し、あっという間に名声と人気を得る。
彼は地主貴族の土地を廻っては、「死人の戸籍を買えないか」と持ちかける。意見は分かれる。肩を持つ人、眉をひそめる人。良くも悪くも街は彼の話題で持ち切り状態。いったい何が、起こっているのか。
危惧したチチコフは馬車を走らせ逃げ出すが、その先は…第二部なのである。
そしてその第二部の原稿は、制作に4年間を費やしたにも関わらず、ゴーゴリ本人が暖炉で燃やしてしまう。
天才は放浪するものである。ゴーゴリはこの昨品(第一部)をイタリアで執筆したようだ。
たとえばネルヴァルや太宰治といった、頭の中をどうにかしたくて逃げ回るように放浪をする作家は、抜きんでて偉大な作品を残す印象がある。いかにも、本人たちは幸せではなかったように見えるが。ゴーゴリの、「狂人日記」は実体験なのかもしれない。まあ、神のみぞ知る。
ロシア文学は、難しくなんかない。めちゃめちゃ面白いのだ。
【余談】
カフカ全集をKindleで拾った。めちゃめちゃ嬉しい。ちょっとずつ読んでいる。
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