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モノの価値は外界より「自分にとっての希少(希なこと)で決まるな」って感じた経験

僕は人生で、

「食べ物がもう明日には底を付く」
「住む家が無い」
「暖かいストーブやシャワーが使えない」

、、、と、こういうようなことは人生に何度かあって。

欲しくて欲しくて、飢えて仕方ない時に幸運にもそれを与えてくれた人が出てきた時、

「普通の何気ないご飯が、高級レストランに出るような舌も心も裕福になる美味しい食べ物」

「普通のアパートが、何処よりも良い場所に」

「普通の暖かいストーブやシャワーが、手練のプロからマッサージを受けたような、全ての疲れやしんどさから開放されるような」

そう感じる時がありました。

また与えてくれた人が「自分にとっての大天使」に変わる。


何も金品だけじゃなく、飢えて、欲しくて欲しくてどうしようもない時に、それをサッと1度でもくれた人のことは忘れることができなくなる。

その時の映像や声、表情から雰囲気まで記憶に残るんです。
メッセージは記憶に残らないことが僕は多くて。

物には金額があります。また決まります。
大抵、「希少だから」「材料費が」「高くても売れるから」「この人が手掛けたから」「この人が使用してるから」、、、云々で。

僕の経験上、それよりもその物の価値を決めるのは、その物を提供した人の真心がこもったところにあると思うことかあるんです。

命の無い物が、命を元気にするイキイキした物に変わる。

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#命

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