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【俺のベース】安心も、繋がりも、共感も無かった。でも、俺は、、、

家でも気を張らないといけない状況。
楽しい学校も一時はクラス全体からイジメに。

でも何度も叱られゲンコツはってきた熱血教師の担任は、俺を見捨てなかった。
後から親に、

母「~先生は、「僕が~君(俺)を必ず守ります」と家に来て話してたんだよ」

気付かない所で守られ、見守られてた。

それを知らなかったけど、厳しい中にも嫌いにならなかったのは愛情を感じてたのかもしれない。


中学に入り勘違いして、道反れ良くない仲間と。

でもそこでは繋がり、共感、安心を感じた。
仲間のピンチ時は守りに駆け付けもしていった。
自分が傷を負うって解りきってても、心の繋がりは感じれてた。

楽しかった。

良くないことをしてるとわかってても、寂しさ、孤独感には勝てなかった。


高校になっても周り見渡せば、同世代の悪い人達の中にいつの間にかいた。

校内ではいつも何処かでケンカ、タバコ、吸ったりしてはいけないある物、、、これが当たり前で。
でも独りではないこの空間が悪い気はしなかった。


ある日溜まり場の仲間が、「ギター」を持ってきた。
でも何か見た目がギターとは違った 。

俺「それ何?ギターに似てるな」

友達「お前知らんの?これベースって言うんだよ」

友達がスピーカーみたいなもの(アンプ)に繋いで音を鳴らした瞬間、衝撃走った。


「ボーーーン、、、」

「床から足の裏、そこから足伝ってお腹、胸全体へと伝わって響いてくる、これまでの人生でこれ以上感じたことない低い低い音と心地好い振動」

ビックリした。


俺「頼む!1週間でいいから貸して欲しい!」

ベースを裸で抱えて家に持って帰り、

「あんなことやってたな。こうかな?こうかな?」

記憶に残ってるのを探りながらベースをかき鳴らすのが、家に居て唯一気が緩める時間だった。

これが俺とベースとの出会い。


まさか現在までやってるなんて少しも思ってなかった。


その日から、悪い仲間達との遊びより、ベースを弾くのに時間を使いたくて、誘いを断っていった。

代わりに、音楽がキッカケで出会っていった繋がりができていった。
ここにも共感と安心があった。

今度は悪いことじゃないカタチで(笑)


その後も、人生で大きな助けになっていって、、、
ベースの存在は俺の予想を遥かに越えていった。

病の苦しい数年間も。


今、音楽を使って1番やりたいことは、小学校、中学校、、また保育園など、子供達の前での演奏と音楽を通して得たことの講話。

俺が夢中になれることに出会えたお陰で、孤独感の数年でもまだ現在まで生きてこれた。
 
平気では決して無かったけど、まだやってこれた。

仲間の大切さ、信頼、自分1人ではできない凄いもの、失敗の生かし方、人間関係の根本やコミュニケーションも、音楽を人とやっていくことで学んだ気がするし、また今も学んでいってる最中です。

俺はそれが音楽(ベース)だったけど、これが何だって良いと思う。


何か1つ。


何か1つ、1人夢中になれることがあれば、それがいつしか人生で1番苦しい時の支えに、紛れになったりすることは不思議ではないと経験上思います。

それを今の俺の姿を見て、ほんの少しのキッカケになったら嬉しいなって。


昔は「異性にモテたい」や「他の演奏者に負けたくない」とかの対抗意識でやってることもあったけど今は、

子供がケラケラ笑ったり、「うあー」って感じてもらったり、、なんかわからないけど心スッキリした。と、帰ってもらう音楽がしたい。

1年半前、子供達、またお年寄りが喜ぶ顔見た時に、

「あー、今はこのカタチが楽しく音楽できる自分に、いつの間にか変わってたんだな」

って、ある日公園でサックス吹いて初めて知った。

でも、やっぱり俺はベース。
これが1番、1番大好き。

ベースがこの世に、地球にあって本当に良かった。

なんだかんだ色々あるけど、良い星に生まれてこれたんだなぁ。

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