ポケモン、スマブラ、スパロボ、ロックマン、メイプル、、、あらゆるゲームと共に成長してきた平成4年生まれ27歳男性の自己紹介
はじめまして、ナオ(@nao1227_1992)と言います。
家族からナオと呼ばれているから、ナオという名前にしました。
ノート毎日更新35日続きまして、自己紹介をしていないことに気づきました。
丁度noteさんからもお題が出ているので、今から僕を紹介していきたいと思います。
4,000文字以上の記事になっておりますので、長さはご容赦下さいませ。
基本プロフィール
名前:櫻井直樹
出身:埼玉県
生年月日:1992年12月27日
血液型:A型
家族構成:母、父、姉、猫4人と1匹家族。
ちなみに、僕の祖父母はどちらも埼玉県に住んでいる。
職業:台湾在住4年目で、グローバル事業の責任者を務める。
メンバーはリーダー含め15名程度(2020年7月現在)
noteさんも粋なことをしますね。
僕にとって、
#自己紹介をゲームで語る
ことが一番分かりやすいんですよ。
常にゲームに心血を注いできたので。
誠に有難うございます。
まず、大前提僕自身数多くのゲームをしてきましたが、ここでは僕の記憶に特に濃厚に残っているゲームを取り上げます。
それでは早速行きましょう!
入院しまくった赤ちゃん期
平成4年、埼玉県の戸田市で誕生したナオこと櫻井直樹は、生まれてすぐ血尿で再入院をします。
血尿の原因は母乳を飲んでいなかった為。
飲んだふりして疲れて寝てを繰り返し、栄養失調になったようです。
この幼少期から備わっている「根性なし」なパーソナルは27歳になった今でも備わっています。基本ヘタレで根性なしな人間です。
ゲームを知る 幼稚園期
幼稚園に入学した僕は、人生で初めてゲームというものに触れます。
これが僕にとって人生第1作目のゲーム
ゲームボーイ ポケットモンスター緑
(著作権とかって大丈夫ですよね?商用とかじゃないし。。。)
書いているまさに今、ネットから探してきて、興奮しすぎて心臓止まるかと思いました。
懐かしエピソード
あれは家族で車に乗って、遠出をした時のこと。
僕は電池が切れる寸前の状態でポケモンを遊んでいました。
(当時充電の概念はなく、単三電池で電源供給を行っていました。)
画面はもう真っ白になりそうな状態。
(今の電子端末のように、プツっと切れるのではなく、昔の機械は電池が切れそうになると、予兆として電源ランプの光が弱くなったり、画面が徐々に見えなくなっていくというような動作をしていました。)
僕はそんな状態でもどうしてもゲームを続けたかった。
その時、僕が思いついた決死のアイデア。
それは、車のマド越しで太陽の光を画面に注ぎ込むということ。
見えました。すこーーーしだけ、画面が明るくなりました。
しかし、努力は虚しく、10分も経たない内に単三電池の電池は底をつき、電源と、その時までのセーブ記録も全て消え去ることとなりました。
ちなみに、幼稚園での僕は病弱で、イベントの数日前には興奮しすぎて、熱を出し、イベントに毎回参加出来ないという情けない子でした。
ゲームを通して社会を学ぶ 小学時代
小学生になった僕は、色々なゲームと出会います。
64
ゲームボーイアドバンス
ゲームボーイアドバンスSP
ゲームキューブ
まず、64の代表作と言えば、こちら
大乱闘スマッシュブラザース
スマブラ懐かしエピソード1
当時はキャプテンファルコンやネスが隠しキャラでしたね。
僕はもっぱらフォックスを使っていました。
色違いドンキーの色がとにかく汚いという印象があったことは覚えています。
休日や、学校帰りに友達の家でスマブラをやるのがもはや日課でした。
スマブラのおかげでできた友達も何人かいたと思います。
スマブラ懐かしエピソード2
こちらはスマブラというより、64全体の話ですが、当時64はお父さんの敷布団の枕元にありました。
大体お父さんは10時ぐらいには寝ていたので、僕は10時以降基本的に64をプレイすることができませんでした。
それでもお父さんが寝た後、どうしてもプレイしたくて、こっそり電気をつけてゲームする。なんていうこともありましたが、その時はとても怒られたような記憶があります。
冷静に、そりゃバレるわ。って今なら思いますが。笑
ゲームボーイアドバンス(SP)の代表作は2作あります。
ロックマンエグゼ2
ロックマン懐かしエピソード1
とにかくストーリーが良かった。
物語終盤でロックマンが実は主人公光熱斗の死んだ兄である光彩斗だという事実がわかって泣きました。
その時のBGMもかっこよかった気がする。
感動しすぎて、何度もそこのシーンをやり直した記憶があります。
ロックマン懐かしエピソード2
ロックマンエグゼ3か4で、WHF(ワールドホビーフェア)の大会に参加したことがあります。
中学生相手に、パネルスチール、エリアスチール、フルカスタム、ヘビーゲージ、クイックゲージを駆使され、何もできなくなり、ドリームソードやら、ポイズンファラオやら置かれて秒殺された記憶があります。
社会は厳しいということを身を持って体感しました。
そもそも小学生の僕にヘビーゲージ、クイックゲージの真の強さを知ることはできていませんでした。
そういえば、通信ケーブルとかありましたね。笑
スーパーロボット大戦D
スパロボ懐かしエピソード
これはロボット、ストーリー、BGM、コンプリート要素、全てが良かったです。
Dオリジナルキャラ、ジョッシュのバトルBGMは今でも聞きます。
そして、真ゲッターロボのBGMは今でもカラオケで歌えます。
他にも好きな曲は
マクロス7 熱気バサラのHoly Longly Light
VガンダムのBGM
確か周回ごとに敵も強くなっていく(20周まで)のですが、20周きっちりやった気がします。その時は、ほぼすべてのユニットが最強になっていた気がします。
小学生の頃は明るい子でした。
よく喋る子でしたね、通学で徒歩40分ぐらい歩いていたので、この頃には体力もついて、イベント前に体調を崩して休むということは無くなっていました。
オンラインの世界へ 中学時代
中学時代の代表作
メイプルストーリー
恐らく、人生で最も長く遊んだゲーム。
このログイン画面の画像を見るだけで、BGMが勝手に脳内再生されます。
メイプル懐かしエピソード1
初めてメイプルをプレイした時、チュートリアルを終えて港町に到着した僕は、見知らぬ人に声をかけた。
僕「あの」
(当時はタイピングも遅くて、まずは人を捕まえる為に、あのだけ打つようにしていました。)
僕「ヘネシスへの行き方を教えて下さい。」
見知らぬ人「このタクシーに乗っていけばいけますよ!」
僕「でも僕タクシーに乗るお金はないんです。」
見知らぬ人「お金はあげます!」
この時、初対面の人が僕にお金をくれて、興奮しました。
「オンラインって楽しいなぁ!!」
そう思ってタクシーに乗った僕がついた先は、なんとツノキノコの湧く、アリの巣。
当然勝てるわけもなく、即死。
リスポーンもスリーピーウッド。
港からヘネシスへ行く道もわからない初心者の僕がスリーピーウッドを抜けられるわけもありません。
スリピを出れば、強い敵。ログアウトして、再ログインしても同じ場所にいる。
(当たり前。)
僕は二度とオンラインゲームやらない。そう心に誓いました。
メイプル懐かしエピソード2
「二度と騙されない。」
そんなことを思いながら僕は3次転職を目指して仮をしていました。
当時アップデートされたばかりのマップでスケルトン騎士?を狩っていました。
そこにいたのは、プリーストのxゆずx(うろ覚え)さん
※当時xXx◯◯xXxみたいな名前流行ってましたね。笑
ゆずさんは僕がリアルでお風呂に入ってROMっている間も、何も言わずHSかけて経験値を吸わせてくれました。
LV70になって、3次転職をした僕はすぐにゆずさんに報告しに行きました。
当時、経験値2倍キャンペーンが夜6~7時にある時もあり、お母さんに
「飯は後で食べる!今は絶対にやめられない!!!」
って言ってました。それほど熱中してましたね。
嫌なこともあるオンラインですが、オンラインの暖かさも教えてくれた良い話です。
メイプル懐かしエピソード3
リアルの友達と狩りをした後は、必ずショーワ町の銭湯に入っていました。
温泉に浸かりながら、長い時は3時間ぐらいずっとチャットをしていたこともあったように思います。
別に電話しようと思えばできるし、夜中に会おうと思えば会える距離だったと思います。
それでも、メイプルの世界の中で、銭湯に入りながら色んなリアルのことも語り合った思い出は何か特別な感覚だったと思います。
ちなみに中学生の頃、僕は多少いじめを受けていたこともあり、性格的には暗い一面もあったと思います。
リアルな恋愛ゲームにはまる 高校時代
正直高校時代に思い出に残っているゲームはありません。強いて言うならリアルな恋愛ゲームにはまったとは言えるかもしれないです。
※たまにメイプルもプレイしていました。
高校時代は当たり前かもですが、いじめみたいなものはなくなり、色んな遊びを覚えた時期かと思います。
スマホゲーム最盛期 大学時代
大学からはスマホゲームが盛り上がっていきます。
パズルアンドドラゴン
パズドラ思い出エピソード
当時周りでやっていなかった人はいないんじゃないかと思うほど、皆やっていました。
2.5倍*2.5倍リーダーを連れて6.25倍や!!みたいな時代でしたね。
当時僕はアンドロイドユーザーで、iPhoneの軽やかな動きを見て、
「次買うならiPhoneだ。」と心に誓いました。
消滅都市
消滅思い出エピソード
大学のサークルの仲間同士でハマりすぎて、消滅ラインが出来たほどです。
新しいガチャイベントが出る度に、
「俺たちが世界を救うんだ、いくぞっ」とか言って、課金を促しあってました。
当時は興奮した時によく、全く関係ないのに、
「いくぞっ!」とか、
「たくやっ!」とか、
「ゆきっ!」などと事あるごとに叫んでいました。
僕達の消滅への熱意を感じたサークルの後輩が、追いコンで消滅をモチーフにしたパフォーマンスをしてくれたことには驚きましたね。
白猫プロジェクト
白猫思い出エピソード
最初にプレイした時衝撃的すぎて、速攻大学の仲間を呼び集めて、白猫ラインを作りました。
こちらもサークルの合宿で新潟まで来たにもかかわらず、最年長であることを良いことに、全く練習にも参加せず、部屋の押し入れの中に引きこもって協力クエストをずっと周回していました。
大学時代は仲間にも恵まれ、今でも連絡を取り合う人は多いです。
大学時代の友達が一生の友達になるというのは、ほぼほぼ間違い無いと思いました。
仕事として、ゲーム業界に関わることに 現在
そして現在、たまたまご縁があり、仕事としてもゲーム業界の仕事を一部関わらせてもらっています。
まとめ
如何でしたでしょうか?
ハマったゲームほど、具体的な思い出深いエピソードがあると思います。
もしも上記のゲームを遊んだことがある人であれば、僕のこのエピソードから人となりが多少見えてくるのではないでしょうか。
以上を持ちまして、僕の自己紹介は終了となります。
もし今日の記事でなんとなく僕のことを良さそうだなと思って頂けましたら、イイネとフォローして頂けたら大変うれしく思います。
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櫻井直樹
埼玉県出身、27歳。台湾在住4年目
CAPSULE Inc.グローバル事業責任者
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