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リハビリ療法士、「最良で最短の経験」に必要なのは

わたしはことばの相談室を経営しており、日々、ことばや発達、発音のお悩みを抱える当事者の方々の相談に乗っている。

そんな、無名の言語聴覚士ななさん、どういうわけか、同業職種の方からキャリアについてご質問いただくことがある。
あくまで 「※個人の見解です」 ではあるものの、新人さんやキャリアの浅い人がこうした軸をもって職場選びをしてくれたらいいのではないか、というものを3つ挙げた。ぜひ参考にしてほしい。

なお、言語聴覚士として開業したいという先生方向けに、汎用性の高い経験については『セラピスト開業マガジン』にまとめているので、そちらを参照されたい。有料マガジンではあるが、決して読んで損はさせない。

療法士にとって、最短かつ最良の経験とは

ありがちな表現ではあるが、我々療法士は患者さんから学ぶことしかできない。誰か、人を相手にするしかあらたな知識を自分のものにする方法が無いのだ。

どんなにロングセラーの良書であっても、経験が伴わないと二束三文の価値しか生み出せない。それが趣味の読書や教養としての勉強とは違う、専門書や技術書であり専門知識や技術というものだ。経験は大事である。言うまでもなく。

しかし、時間は有限である。我々の持てる時間は少ない。若い人の時間ほど貴重だ。そして、誰しもが人生で1番若いのは今である。

通所・外来リハがある

はっきりとオススメできるのが、外来利用の人を受け持つ経験を1年目から積めたほうがよいということだ。

では、入院・入所リハビリと、通所・外来リハビリの違いはなんだろうか?

入院・入所だと、毎日顔を合わせるリハビリスタイルがベースとなる。
たとえばわたしが1年目のときに働いていた回復期リハビリ病棟では、言語聴覚士のリハビリ処方が出ている患者さんには毎日2単位ないし3単位を算定することが事前決定されていた。自分が休みの日は誰かに代行を依頼する。

回復期リハ病棟のリハビリは、リハビリ強化合宿のようなもので、

・頻度を治療計画に組み込むことができない
・今回介入から次回介入までのスパンが短い
・実際環境下を想定した、「計画ー実践ー反省ー計画修正サイクル」を回せない

などの不便・不都合を感じていた。

頻度の要素を治療計画に組み込めないと、練習したストラテジーの使用を1週間後、2週間後、4週間後、3か月後と間隔を徐々に伸張させ評価していくことが難しい。
介入間のスパンが短すぎると、訓練効果の定着や汎化、逆に、習慣が消えるのにどのくらいかかるか?の程度を評価できないし、療法士側に、"予想を立ててそれを当てる"という目利きの力が育たない。

計画ー実践ー反省ー計画修正のサイクルが回せないというのもおわかりいただけるだろう。
入院中に製作した装具やコミュニケーションノートが、退院後に自宅の隅でホコリを被っているというのはリハビリ業界あるあるである。実際に使えるかどうかの見極めを実際の使用場面にて行わねば実用性がわからないというのは、ごく単純で当然のことだ。

脳損傷/脳疾患 後、高次脳機能障害者や失語症者は何年も何年もかけてじっくりと回復していく。にもかかわらず、算定期限内の6か月に無理矢理リハビリを詰め込まれる。寝起きに食いたくもない豪勢な馳走を次々と口に詰め込まれるようなものだ。

なので、通所・外来のリハビリが業務に組み込まれているというのはわりと大事だったりする。「今・ここ」と「どこか別の場所」を行き来しているということ自体が、正確な機能評価、ADL評価、言語コミュニケーション評価を実現させ、プログラム立案の可能性をフルで使える。

高負荷をかけられる

多くのリハビリは、運動療法や行動療法である。つまり、負荷を必要なかぎり最大まで掛けられたときに効果が最大になる。そこの見極めをするのが療法士の最も重要な仕事だ。しかし、リハビリのターゲットになんらかの理由で十分な負荷をかけられないということがよくある。

まだ病気の発症後間もなく体力の回復を待たねばならない、別の疾患があり必要な負荷量に対し制限しなければならない、経済的に負担が大きく必要十分なだけの利用が難しい...etc

さまざまな病気を複数持つことを「合併症」と呼び、特に高次脳機能障害において、単一症状のみを持つ人のことを「純粋例」、複数の症状を併せ持つ人のことを「合併例」と言ったりする。

わたしは『いつも時間がないあなたに』や『貧乏人の経済学』といった行動経済学の本を読んでからというもの、この「合併例」という表現を拡大して適応するようになり、「忙しさ」や「お金のなさ」までをも含めるようになった(※前者の本では、実際に農閑期と農繁期でレーブンマトリシス検査を取り、成績を比較した結果などが紹介されている)。こうした合併要素はリハビリでかけたい負荷を実現させるチャンスを邪魔してくる。

ここで、誤解なきよう言っておきたいのだが、こうした人たちのご事情を責める意図はまったくない。むしろ世の中でリハビリを必要とする人は、こうした人がほとんどである。療法士としての技能を超えたソーシャル・スキルやコンサルテーション・スキルが広く求められるステージであることは間違いない。

ただ、さまざまなご事情の合併がない、"純粋例"をみる経験をキャリアの早いうちに積めることは重要だと考える。「覚醒状態がハッキリしている失語症の人」以外にも、「時間や費用が十分にあり、練習に必要なだけ通い続けられる人」などもわたしの定義からすると"純粋例"に入る。
"純粋例"に適切で充分な負荷量がわかるからこそ、"合併例"にてトータルの負荷量を調整する勘が冴えるようになってくる。

世の中の悩みごとはたいてい、あれもこれもと複雑にからみ合っている。「雑多な経験を積んだから雑多なスキルしか身に付かず、結局よくわからないまま」というのは、実はよくあることなのだと思う。

さまざまな"合併例"の対応を経てきたことが、すなわち「さまざまな経験を積みスキルを磨いた」となりづらい理由はここである。

真剣で本気で切実な人を相手にする

人が人を介して最も成長する瞬間はいつか。それは「相手も自分も真剣なとき」だ。

病院や介護施設・療育施設は準公的機関であり、さまざまな人が来所したり入所したりする。なかには周囲に無理矢理連れてこられたり、気がついたらそこに居たりして、リハビリを受けるのが本意でない人も居る。

それでよく、「リハビリ拒否」という事態が発生する。療法士の相手は脳を損傷した方だったり、障害を持つお子さんだったりするので、「リハビリ拒否」との遭遇は避けられない。

しかし、リハビリ拒否およびリハビリ拒否の方をうまく扱えた経験を積めば積むほどスキルは上がるのか?と聞かれると、「一定そうした側面はある」、程度の話ではないだろうか。

苦労したからすなわち成長できるとは限らない。逆に、お互いにやる気はそこそこに、「なんとなく時間をやり過ごす術(すべ)」を学ぶことだってできる。多くの療法士は、いくらがんばっても給与が変わらないのだから、そのほうが賢いわけだ。

注意しておきたいが、なにかを教える仕事に就いている以上、「真剣にさせる」技術が必要である。良心的な療法士は、やる気のない人を相手にしたときに、そうした技法を学んだり、先輩にうまいやり方を聞いたり、自身の人間的魅力を磨いたりする。

そうした努力を笑うつもりはまったく無いし、今日も拒否や不真面目、適当なご利用と格闘する現場の先生方には拍手を送りたい。

ただ、これもあまり言ってはいけないのかもしれないが、初めから切実に療法士の介入を求め、一言一句聞き漏らすまいと耳を傾け、自らできることは何かないかとメモを取り事前に考えてきた質問を次々とぶつけてくださる真剣な方を相手にすることによる成長のほうが、「やる気のない・やりたく無い人たちを相手にする成長」よりも広くて深くて本質的で、限界が無いように思う

目の前の人を本気にさせよう。
もしくは、はじめから真剣な人・本気の人ばかりが訪ねてくる施設で働こう。その真剣な人を相手にできた総時間が、あなたの成長に直結すると思う。

より知りたいと思った方は、わたしが翻訳協力にかかわった本、『高次脳機能障害のための神経心理学的リハビリテーション』(医歯薬出版)という本を読んでみてほしい。

なにやらゴツい理論書かと思われるだろう。その通りではあるのだが、この本の最も優れた点は、ケースレポートが大量に掲載されていることだ。
ちなみに、本書の舞台、OZCは通所施設であり、維持期で身体が健康で高負荷を掛けられる若い症例を選んでいる。どの人も真剣で本気で取り組んでいる。今回の3つの要件を満たす、選りすぐりのレポートばかり。おもしろいのでぜひ。

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