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「クリード 過去の逆襲」の感想(ネタバレあり)

僕はシリーズ第1作(と言っていいのか微妙だけど)の「クリードチャンプを継ぐ男」が生涯ベストになる位大好きで、その次の「クリード炎の宿敵」の時は、自分のまとめて書きたいことが溢れすぎて、このnoteで映画の感想を書き始めるきっかけになってたりするので、自分の映画鑑賞ライフの中でもかなり重要なシリーズだったりする。

クリードシリーズの終着点

第一作、第二作でアドニスの「亡き父親との確執」は解決したし、師となるロッキーの物語も決着してもうロッキーシリーズの延長としての「クリード」の話は完全に終わっていたので、そこから物語をどう続けていくのか?という点が心配だったのだけど、今回はそういう「アポロ」や「ロッキー」の影は出なくて、あくまでアドニス自身が起こした過去の失敗と向き合い、自分を許していく物語になっている。

それ故にもうロッキーシリーズの繋がりが希薄とも言えるのだけど、だからこそ映画の中のキャラクターではなく、1人の人間としてアドニスという人物を描き切ろうとしている気がして、僕はそこが好きだった。

デイムを見捨てた負い目に加えて、これまでの自分の恵まれた境遇が心を締め付けていく訳だけど、僕らが観てきた「クリード」シリーズでアドニスが自分を証明しようと闘い、藻掻き続けた軌跡を再び思い出し、自分をもう一度取り戻していく流れがとても熱かった。

アドニスはこれまでのシリーズでも結局環境に恵まれた男として扱われていたし、映画を観ているロッキー好きの映画ファンの人からも「ロッキーに比べて待遇が良すぎる」みたいな話は散々言われていると思うのだけど、恵まれた自分の境遇に恥じる事はないし、その中の闘いで得た痛みは決して生易しいモノじゃなかった。
どちらかというと「ロッキーシリーズ」より「クリードシリーズ」になってからの方が好きな僕の様な人間からすると「そうだよ、お前の闘いに僕は勇気をもらってきたんだよ!」と、応援しながら観てしまう。
そして過去に囚われていた彼が終盤のトレーニングシーンで僕が知っている「クリード」を少しずつ取り戻していく様なカットの重ね方に泣いた。
画面の左から右へと走るデイムと、逆方向へとアドニスが走っていくシーンが重なる事で、「過去に囚われた人間」と「過去を乗り越えようとしている人間」を映画的に対比していて、ここら辺の演出が上手い。

舞台がずっと彼の生まれ故郷であるLAから動かないのもアドニスの物語の終着として相応しい。
トレーニングシーンの最後にハリウッドサインで雄叫びを上げる所とかちょっと笑ってしまうのだけど、一作目で舐められ気味に付けられた「ハリウッド」というあだ名に「俺はLAの男だ!」と開き直ってる感じが潔くて好き。

それと今回は第一作では若造だったアドニスがロートル扱いされているのが月日の流れを感じるし、観ながらいよいよシリーズが終わるのが切なかった。
ラストカットでちゃんとロープの外に彼が出ていく描写で映画が終わっていくのが、もうここで彼の物語は終わりですよ。という表明になっていて彼の物語に勇気を貰い続けたファンとしては、やっぱり泣いてしまった。

ロッキーシリーズの連なり

それでも敵であるデイムのアメリカンドリームを手にしていく流れはアポロがロッキーと対戦した経緯と重なる様になっていて、やっぱりロッキーから派生した物語という連なりも感じる。

というかあの世界では、「ロッキーvsアポロ」の試合が神話化している感じで、皆がああいう持たざる者の成り上がりを期待しているからこそ、デイムの試合は組めたし、他のボクシング映画とか漫画の世界では成立し得ないロッキー世界ならではの要素で、そこを今回の敵であるデイムが利用して物語を作っているのは上手いと思う。

そんなロッキー的なアメリカンドリームの闇をデイムが象徴しているからこそ、これまでロッキーの精神性を環境や育ちではなく「心」で受け継いでいるアドニスが闘うという必然性もあって、その辺の流れはやっぱり「ロッキーシリーズ」だからこその試合という納得度も高いと思う。

マイケル・B・ジョーダン監督

「はじめの一歩」や「ドラゴンボール」のアニメシリーズ等から影響を受けたと言っていたボクシング描写は、かなり独特で面白かった。
二人だけの世界でお互いの想いをぶつけ合うように、背景から観客が消え檻の中に入っていく様な感情表現に寄り添った試合描写は確かに実写映画で観た事ない様な表現で面白い。
この作品の前に「はじめの一歩」のアニメシリーズを観てから鑑賞したのだけど、脇腹への攻撃が決まるシーンや、終盤デイムのパンチがアドニスのみぞおちに入って、衝撃が背中を飛び越えていく表現とか、ボディ攻撃が気持ちよく入っていく表現とかは確かに近いモノを感じた。
あと目のアップで闘う意志の強さを表現する様なカットとかも「はじめの一歩」っぽい気もする。
あと最後のおまけアニメはめちゃくちゃ「メガロボクス」っぽくて笑っちゃった。
本当ボクシングアニメ好きすぎで無邪気。

ただアニメや漫画だと登場人物の心象ナレーションで試合の解説をする様な語り方になっていくのが普通だけど、実写映画としての表現ではそこは出来ないのでちゃんとセリフに頼らないカットバックの使い方や、登場人物の目線の動き等、ちゃんと映画的な演出で試合シーンをまとめられているし、映画監督としての手腕も確かだと思った。周りの風景が消えていくという試合の表現がアドニスの個人的な闘いである事をより強調しているし、ただ面白いというだけではなく物語的な必然性も感じる演出になっていた。

デイム

「長い間連絡もしなくて、俺が悪かった。」
「俺たちは子供だった。お前は悪くない」
「お前も悪くない」

試合後のこのやりとりがとても感動的だった。
というかデイムはこのやりとりを一番望んでいて、出所したばかりで会った時もこれでもう一度アドニスと親友に戻りたかっただけな気もする。
そう思ってもう一度観ると再会した時のアドニスがそれを隠す様に「食べ物」や「金」や「仕事」を提供したりして彼の表情がどんどん曇っていくのが観ていて切なくなる。
本当はアドニスに復讐したい訳じゃなくて自分でも何がしたいのか?しっかり定まっていない様な序盤の表情の変化とか、演じたジョナサン・メジャースの表現力が本当に巧みで、切なくも怖いめちゃくちゃ印象深いキャラクターになっていたと思う。

まあ正直彼の計画通りに事が進むのは、かなり映画の展開として強引に感じたし、ぶっちゃけ「そうはならんやろ」と思いながらタイトル戦までいってしまった感じは強い。
ロッキー伝説をなぞって成り上がる流れ自体は面白いと前述したけど、ドラゴの腕を折って病院送りにしただけで、自分に試合のチャンスが巡ってくるというのを狙ってやったというのはご都合主義すぎるし、もう少し上手い語り口はなかったのかなぁという気はする。

あと彼が汚い手でチャンピオンに勝っているという描写しかないので、正直強さ表現が微妙に感じて、その後も防衛戦で勝っている描写とかも入れてくれないと、アドニスがチャレンジャーで挑む相手としての強さの格が小さく感じてしまう気がした。
あと最近はじめの一歩ずっと読んでたせいで、世界チャンプってそんな軽くて良いのか?という気持ちになってしまった。

ヴィクター・ドラゴ

前作のぶっきらぼうな印象から打って変わり今作ではアドニスと友情すら芽生えていて、彼もこの数年で成長したんだなぁとしみじみ感動してしまう。

ただ今回一番可哀想なのは彼で、デイムの雑な企みで腕をボロボロにされてあんまりだと思う。
このヴィクターのくだりは本当大雑把で二作目の彼が好きな自分としてはかなりノイズになった。
それでもその状況でアドニスのスパーリングの相手やってくれるとか、どんだけ優しいんだよ!って違和感はあったけど、アドニスが段々自分と闘った頃に戻ってくるのを見て嬉しそうに笑う顔とか健気すぎてちょっと泣いてしまった。

このままだと不憫すぎるので現在進行中だと言われてるスピンオフ作品をドラマでも映画でも良いので是非実現してほしい。
彼がチャンプになる所が観たいよ、、、。

前作でアドニスとビアンカの間に生まれたのが女の子だったので、なんとなくクリード家のボクシングの物語はアドニスで終わりになると予感していたのだけど、今作でアマーラがアドニスと同じボクサーへの道がぼんやり示唆される。
このぼんやりという感じが良くて、彼女がやりたいなら背中を押す様な、次の世代の未来が開かれているラストのリングでの家族のやりとりが凄く好きだった。

(追記)
この感想を書き終わった後、ネットニュースでマイケル・B・ジョーダンがクリード4を作る気満々という記事を見つけてちょっとビックリした。
「クリードバース」とか言い出してるし、今後がちょっと心配になってきた。
でもドラゴのスピンオフはやって欲しい。

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