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本の感想『オープンダイアローグ』

『オープンダイアローグ』
ヤーコ・セイックラ/トム・エーリク・アーンキル著

今回の本の感想は、『オープンダイアローグ』です。
三部構成で、全部で九章まである本です。
パラっとめくって私には難解そうだったけれど、オープンダイアローグを築き上げてきた人が書いた文章に触れてみたかったので、読んで理解できるように努力したいなと、この本を読むことに決めました。
実用書や研究書などを読みなれている人なら、すらすらっと理解できそうですが、そういうものから離れて久しい私は、つっかかりひっかかりながら読み終えました。

この本を私の主観で短くまとめるなら、

権力をもって、あらゆるものをコントロールしようとする志向と、モノローグ的在り方は似ていて、でもそのやり方では、結局、コミュニケーションはうまくいかないし、クライアントにとって有効な治療にもなっていかない。

たとえ、理解不可能な危機的状況にいる統合失調症の急性期の患者の人にでさえ、努めて対話(ダイアローグ)的に接し、その意味不明な言動にも、人としての苦しみなど理由があることを想って、みんなで寄り添っていけば、普通の言葉に置き換え可能な何かが見えてきて、症状が癒されていく。

ひとりひとりの見方や考え方が違うことを、誰かや何かがコントロールしてひとつにまとめていくのではなく、人はみんな違うのだということを前提に、お互いに認め合うこと。
権力のヒエラルキーをつくるのではなく、それぞれを尊重するような在り方で対話をしていくことが、大切なのでは。

といった感じでしょうか。


―――以下は、私のメモ。
(まとまりがないので、興味がない方はスルーしてください)

第一部の第一章は、どうやって「ダイアローグの思想」の核をつかむことができたのか、その道のり。
複雑でモノローグ的なネットワークから、当事者や家族に合わせるネットワークへと変わっていく様が描かれていました。
p28「コントロールするのではなくて、共同で理解を深めていかなければならない」
という一文が最も印象的でした。

第二章は、「ネットワークミーティングを阻むもの」と題されています。
ネットワークミーティングとは、フィンランドで制度化されている、支援者やクライアントやその家族、その他関係者との集まりだそうです。
フィンランドでは、頻繁にそのようなミーティングが開かれているのですね。
対話を用いた治療法が確立されてきた背景が、少し見えた気がしました。
人それぞれには社会的立場があり、人の数だけ考え方があり。
それをお互いに、コントロールしようとしたり、されたり、という関係でい続けるのは、どうなんだろう。という感想をもちました。
p42「対話に参加している者と同じ数だけ、多くの観点と見方があるわけで、あるひとりの人の見方が皆と同じで皆が受け入れることができる見方があると断言できるものは誰ひとりいないのではないだろうか」
p43「主体の行動が最大限客観的な事実によったとしても、またそれが意味あるものだったとしても、彼の行動は独自の観点からのものなのである」

第二部の第三章は、オープンダイアローグによる危機的介入
オープンダイアローグを危機的状況にいる人に用いるために必要なこと。
七つの実践ガイドラインにそって、細やかな考察がなされていました。

第二部第四章は、未来を想定して不安をなくす話法「未来語りのダイアローグ」
詳しい未来語りのダイアローグの方法と、ファシリテーターの役割などが書かれていました。

第二部第五章は、2つの対話、その異動、そして対話性について
モノローグではなくて、ダイアローグ(対話)じゃないといけないということを、繰り返し書かれていたという感じでした。
p99「理解は、制度と制度のあいだではなく、個人と個人のあいだに生まれる」
p100「目指しているのは、問題解決のために皆が一緒の理解をすることではない。むしろ各人が問題に対して独自の見方をもつことが出発点なのである。お互いのものの見方を理解しようとすることが重要なのである」
p111「対話に参加している人たちの立場の数だけ、常にいくつもの問題がある。だからこそ、新たな話し合いをするたびに新たな考え方が生まれる可能性がある」
p112「〈対話〉は共有された新しい現実をつくりだす。他の人たちの話をもっと理解しようとすると同時に、この話し合いで自分自身が考えていることをもっと自覚しようとしなければならない」

第二部第六章は、〈対話〉はどのように苦悩を癒すのか
対話をしていくことで、参加者全員の何かが変わっていくということが、書いてあった感じです。
p130「チームとネットワークメンバーは、一緒に共同の言葉の世界をつくりあげていく。そこでは、今の状況で話されている言葉を同じように理解するようになる。この共同の言葉の世界は、対話の参加者の「あいだ」に生じ、その言葉にこめられた出来事や感情の経験が分かち合われたことをあらわしている」
p133「共に歩みながら変化していくこと。共進化」

第三部第七章は、対話について、そして応答の技法
予後がよかったケースと悪かったケースを分析して、どう違ったのかが描かれています。
クライアントの話に寄り添うように反応した場合は予後がよく、クラアイントの話をよく聞かないで話をし続けてしまった場合は予後が悪い。
その理由は、
p142「症状は、言葉によって置き換えられる」
p142「オープンダイアローグは、患者の精神病的な発話、私的で内的な声、幻覚的兆候の内にとどまったままになっている経験を、共通の話言葉に育てることで治療を行おうとするものである」
とあるように、危機的状況のクライアントの理解不能に思えるような言動に、寄り添って話を聴いていくことで、それがだんだん、読み解けていき、共有され、それを参加者みんなが感じていくことで、理解不能だった症状が減っていき、対話の中に自然と溶けていくイメージでしょうか。
この本で、「オープンダイアローグとは」という書き方をされている文章は、私の読み落としさえなければですが上の一文だけだったと思うので、非常に重要なのかなと思いました。

えーと、第三部の第八章と第九章は、研究結果と、現状が、あまりに専門的に細かに書かれていたので。
私が、専門の人ならわかったのかな。

以上が、感想というか、まとめなんですが。

私には難しかったっですが、オープンダイアローグを磨き上げてきた人たちの言葉に、思考に、触れられてうれしかったです。
しかし果たしてこの記事は、面白いのかな。

長々とお付き合い、ありがとうございました。

次回の本の感想は、りすにんぐファームの先輩からいいよーと教わった『トム・アンデルセン会話哲学の軌跡』になります。
ただいま、注文し終わって、到着待ちです。

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