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喜久家プロジェクトという存在

学生時代最後となるNICEワークキャンプ完遂。
そして今回は私の原点とも言える愛媛県伊方町にて、キャンプリーダーをさせて頂きました🍊


心が解ける、溶ける。


平礒までの山深いクネクネ道、年季の入った喜久家(ボランティアハウス)の姿、縁もゆかりもない地の農家さんとの対面、全国各地からそれぞれに集う初対面のキャンパーたち

ーとまどい。不安。未知との遭遇。

辺り一面に広がる山々。大地の形を生々しく感じさせる半島独特の風景。青々とした二つの海。野鳥の透き通ったさえずり。雑音なき、本物の静寂。山を見渡せば爛々と輝くハッキリとしたオレンジにだんだん畑。
はじめて会ったことを感じさせないような農家さんや地域の方々の包み込むような、良い意味で"強引な"受け入れの眼差しと声。

ー期待。一種の落ち着き。安心。ワクワク。

参加メンバーの素直な反応をみていて、ああ自分もそうだったな…と懐かしさが溢れる。

初日の歓迎会、まだ名前と顔も一致しないようなメンバーとの共同作業。続々と集まる農家さんに圧倒されるキャンパーたち。
誰かが言った。親戚の集まりのようだと。

ーまずはここで少し、心が解ける、溶ける。


どうやって、"返していこうか"


翌日からは農作業のワーク🍊朝不安そうに「いってきます」と言って喜久家を飛び出したメンバーも、夕方になると表情と声色を変えて「ただいま」と喜久家に帰ってくる。それはそれは、たくましく、達成感の透けて見える、一皮むけたスッキリとした顔つきで。

今日は農家さんがこんな話をしてくれた、あんなことをしてくれた、こんな配慮をしてくれた、こんな景色を見せてくれた、こんなものを食べさせてくれた…等々

自分が見ようとさえ思えば、捉えようとさえ思えば、沢山の美しいものや温かさに気付けること。その幸せに学びの深さに、変化していくキャンパーたち。してもらったことや心遣いに対して、どうやって"返していこうか"と模索するキャンパーたち。

日に日に農家さんや地域の根強いファンになっていき「帰りたくない」と言う声が喜久家に溢れる。この不思議な、気持ちの連鎖や循環のパワーの仕組みばかりは、数年ワークキャンプを見ている自分にも、まだまだわからないことだらけだ。

そして今回はリーダーという立場もあり、受け入れ側の声を聴くことも多かった。「今回も良い子たちばかりだ。ここまで来てくれたのだから何かしてあげたい。頑張ってくれているのだから、みんなでこれを食べなさい」直接キャンプに関わっていない地域の方々からも、「いつもご苦労様です、助かっていますよ。ありがとう」と温かい言葉。

ー実に自然な相互作用。


境目をつくらないから循環する

今回のワークキャンプを通して改めて気付いたことがある。

ひとつは、真の意味での"ボランティア"とは"境目をつくらないこと"なのではないかということ。作業を手伝う、マンパワーとして役に立つ、それはもちろん立派なことだが、"あの人を笑顔にするためには"、"あの子の居心地の良い環境をつくるには"、もっとこんなことができる、あんなことができる、そんな「人を気遣う心」は広義での"ボランティア"なのではないかということ。小さな"ボランティア"の積み重ねが幸せの溢れる世界をつくるのではないかということ。

もうひとつには、人が少ないこの地で"寂しさ"というものを感じない所以について。それは、多くの人が"自分のことを気にかけてくれている"と感じられる、温かみにあるのではないかということ。人は誰しも、自分に対して身も心もしっかりと向けて興味を持って向き合ってくれる、そんな人を求めていると感じるが、この地ではその感覚が強い。

そして、お世話になった地域の方々に何か恩返しをしたいと考えたとき、農家さん方は農業のマンパワーとしてだけの見返りは求めていないと思う。むしろ、それぞれのメンバーが各々の道で、ここでの経験を何かのヒントや前に進むための小さな小さな部品にして、輝くことを望み期待しているように感じる。「またおいで、いってらっしゃい。」そして戻ってきたときには「おかえりなさい」そんな言葉が飛び交うこの伊方の町、平礒の喜久家は若者たちの成長のための拠り所になっていると思う。またここに帰ってくる、成長した姿を見せにくるという、気持ち。そんな気持ちが循環している。

そんなこの場所が、私は大好きだ。
学生最後、大好きな場所でリーダーが出来て幸せだった。今後は関わり方を変えて、大好きな喜久家のためにできることを考えたい。



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