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ぶつけた足の小指を放置するといつまで痛いのか?

 机の脚やドアの角などに足の小指をぶつけるとかなり痛い。ぶつけた瞬間の激痛はいうまでもなく、その後にやってくる鈍痛も相当なものだ。
「くそっ、なんでそこにあるんじゃ、おまえは!」
と、机の脚に罵声を浴びせながら、思わず小指を手で押さえてうずくまり、身動きが止まってしまう。しばらくすると痛みは治まる。
 昔から、怪我の処置のことを“手当て”というのは、患部に手を当てると痛みが緩和するということを私たちが経験的に知っているからだ。人間の身体は、手で触ったり、スキンシップしたりすると、オキシトシンという愛情ホルモンが出てストレスを抑えるようになっているのだ。ということは、小指をぶつけたときに手を当てなければ、ずっと痛みが続くのではないか? そんな仮説を抱きながら、私は小指をぶつける機会をうかがっていた。
 
 そんなことはすっかり忘れていた、ある冬の夕暮れ時。遂にその瞬間が訪れた。
<<<ガンッ!>>>
「痛っ!」
思わず手が伸びそうになる自分の手に向かって、
「触ったらあかん!」
と言い聞かせた。「患部に触りたい自分」と「オキシトシンの真実を知りたい自分」の葛藤に耐え、かつ、「痛みにも耐える自分」を褒めてやりたい。痛みはジンジンとずいぶん長く続いた。痛みが完全に治まったのは約5分後だった。通常の“手当て”をした場合は1分くらいで治まっていた。このことから、
「オキシトシンが出なかったので痛みが長引いた」
と結論付けることにした。
 という話を、一杯やりながら牧場を経営している友人にしたら、
「牛の出産のときにも、痛みを緩和するためにオキシトシンを注射するんだぜ」
と言うもんだから驚いた。凄いなあ、オキシトシン。
 
 このエピソードをなぜか急に思い出したので、面白いから何か書いてみようと思ってこの文章を書いているわけだが、見返しているときに「おや?」っ、と気付いたことがある。
「小指は、なぜ“子”指ではなく“小”指なのか?」
親指があるんだから、当然、“子指”だと思っていたのに“小指”と書くのは、なんでやねん。
 こういう調べものはネットで検索ではなく、紙の本に限る。この無駄な時間がこの上なく楽しい。自宅のホットプレートで焼肉が食えるにもかかわらず、何時間も掛けてわざわざキャンプに出かけて、わざわざ炭火を起こして食う焼肉と同じだ。そう、人類には無駄が必要なのだ。
 というわけで、さっそく国語辞典で調べてみる。
『小指:指の中で、いちばん外側の最も小さな指』
とある。和語では“子ども指”ではなく“赤ちゃん指”なのだそうだ。ではなぜ親指なのか?
『親指:手や足の、いちばん太い指』
とある。だったら“太指”でいいんじゃね? さらに調べてみる。中世日本では“大指(おほゆび)”と呼ばれ、江戸時代から明治時代に“親指(おやゆび)”が定着したそうだ。親指は「男」を意味するので“どっしりした男”、つまり“お父さん”や“親”を連想させたのではないだろうか。
 他の指の定義や語源も調べてみよう。
『人差し指:親指と中指の間の指』
なんとまあ分かりやすいが、私は語源が知りたいのだ。ということは、人差し指よりも中指の方が先に名付けられたのだろうか?
『中指:五本の指の真ん中の指』
まあ、そんな予感はしていたし期待もしていなかった。名付けなんていうのは実にいい加減なもんである。これでは人にウンチクを語ることなどできない。
「中指って、なんで中指っていうか知ってる?」
「真ん中の指だからじゃないの?」
「よく知ってるねえ」
こんな馬鹿げた会話を想像すると笑えてくる。
『薬指:親指から四番目の指』
えっ? 薬や紅を塗る指だから薬指じゃないの? 不審に思って読み進めると、
『薬師如来が右の第四指を曲げている事に由来するという説がある』
とある。そうそう、こういう語源みたいなのを知りたかったのだ。これでやっと人にウンチクを語ることができる。
 
 最後に、せっかく調べたのだから小指のウンチクも書いておく。
『日本では相手に対する誠意や忠義を示す風習として小指を切るという行為があり、かつては遊女が客に対して自分の小指を切断して渡すという行為があったという』
 ちなみに、フック状に曲げた小指を互いに引っ掛け合って行う“ゆびきりげんまん”は、“指切拳万”と書き、約束を破ったときは“握り拳(こぶし)で一万回殴る”というのが語源だという。そしてみなさんご存じの通り、“はりせんぼんのます”は魚のハリセンボンを呑ませるのではなく、裁縫針を千本呑ませるという意味である。(了)

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