短評:ヌーヴェルバーグ的要素の不発 〜 「牝」(1964年、渡邊祐介 監督)

シネマヴェーラ で「牝」(1964年、渡邊祐介 監督)をみた。

渡邊監督は「桃色の超特急」がいちばん印象に残っている。その他何作か観ているが、いずれもあまり印象に残っていない。ドリフ映画などたくさん撮影しているがほぼ未見である。

緑魔子がニヒルな不良少女を演じる。弁護士を経営している父親と父子家庭であり、父親の元部下と不倫関係にある。その男の妻は、少女の父親と不倫しているという交叉状態になっている。少女は父親を敬愛しているが、実は・・・という物語。

ドラマを引っぱる力はあるが、どうも主人公の感情の動きがピンと来ず、よく分からない印象で終わった。ヌーヴェルバーグ的な要素——性的無軌道、バイクと交通事故、不倫、時事問題(東京オリンピック)など——があるが、うまく噛み合っているのか分からない。少女をTVに出演させ、放送中の彼女の顔に見られることに興奮し、妻を抱く夫のシーンなどはおもしろいが、アイデアを放り込んだだけのようで効果的とは言えなさそうだ。

もっとも気になる点として、緑魔子演じる少女のニヒルさがクライマックスのシーンで消えてしまい、どうも中途半端なようにも思える。これは思うに、前半部分での彼女のニヒリズムが、基本的に諦観のような感じで描かれてしまっているせいではないか。もしこれが、感情を抑圧した結果ニヒルに見える、という演出であったならば、もっとしっくり来そうだ。