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学校に行く意味子どもに伝えられますか?

なぜ学校に行くのか

よく話題にあがるけれど,「なぜ学校に行くのか。」

子どもに聞かれたときにどのように答えれば最適なのだろうか。
元教員であるにもかかわらずボクは基本学校なんて行かなくてもいいと思っている人間なのでこの問いは真剣に考えていきたいと思う。

結論

ボクが考える答えは,
「暇つぶしをいかに楽しく過ごすかを学ぶため」
でる。

ホリエモンが言っていた言葉だが,
「人生は究極の暇つぶし」
ボクはこの言葉がめちゃくちゃしっくりきた。

どうせ暇つぶしをするのなら楽しいことをして過ごしたい。
死ぬまで嫌な思いをするのは耐えられない。

このような考えから教員を退職をした身である。
楽しいと思うことに全力を注いで生きていくことにしたわけである。

話がそれたが,学校は暇つぶしの方法を学ぶ場所なのではないかと思う。

暇つぶしの方法

暇つぶしの一つ,「学ぶ」ということ。

様々なことを学ぶことで知的好奇心が満たされる。
どこかのフランスの思想家の言葉だが,
「知識を得るというのは,別のものどうしを別のものだと認識することができるようになること。」だそうだ。

これだけだとよく分からないが,

例えば,「イヌ」という言葉しか知らなければ四つ足の動物はすべて犬である。
しかし,ウマやらウシやらいろいろな言葉を知っていればそれを別のものだと認識することができる。
知識を身に付けることで明らかに世界が広がってくる。
人はそれを「楽しい」と思うのではないだろうか。

また,暇つぶしの一つとして,「身体を動かす」ということがある。

身体を動かすことで爽快感を得る。
できないことができるようになり達成感を得る。
こういった行為は脳からセロトニンやドーパミンというホルモンを分泌させ,人を幸せな気分にさせる。
人はこれを「生きる意味」と感じるのではないだろうか。

さらに,暇つぶしの一つとして,「人との関わり」というのがある。
人と話したり,人と何かをしたり,協力したり,一緒に何かを達成するという行為は脳からオキシトシンというホルモンを分泌させ,これも人を幸せな気分にさせる。
人はこれに「自己肯定感」を感じるのではないだろうか。

こういった気持ちをもつことで暇つぶしの時間が楽しく,幸せで意味のあるものになっていくのではないかと思う。

こうして学んだことを使って,仕事をするのもよいし,ひきこもるのもよいし,遊んでくらすのもよいし,様々なことを身に付けていれば暇つぶしの自由度が高くなる。

しかし,何も学ばず,自由度が低かったとしても日本には生活保護という最低限の生活を保障してくれる制度があるので問題ない。

まとめ

学校とは「長い暇つぶしの方法を学ぶ場所」だというのがボクの意見である。
しかし,ここまで読んで感じた方もいるのではないだろうか?

「あれ?それって学校じゃなくても学べるんじゃない?」と・・・

現代はインターネットやSNSなどの普及で上記にあげたことはすべて自分でできてしまうのである。
というわけでボクは「学校なんて行かなくてもいい。」という考えをもっていることにつながるのである。

つまり,学校に行って学ぶのも良いし,自分で学ぶのも良い,学ばないという選択肢もある。

今の時代子どもは学校に行くという狭い視野だけでなく,ほかの選択肢にも目を向け,様々な子ども時代の生き方があって良いのではないだろうか。
これこそ生き方の多様性である。

あくまでも個人の意見なので一つの価値観だと思って読んでもらいたい。


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