僕らはみんな死ぬ

私がなんとなく昔読んだ伊坂幸太郎さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」には「人はいずれ死ぬ」という言葉が多く登場する。

その通りだ、人はいずれ死ぬ。
死ぬからこそ色々な物事に挑戦する意欲が湧いたり、死ぬからこそ辛いことがあってもなんとなくやり過ごせたりする。
人はいずれ死ぬから。

8月は戦争関連の式典が増える。
マリーアントワネットの首が2024年になってもなお再び飛び、広島と長崎に戦争中の国の要人が並ぶ。

マリーアントワネットの首を飛ばしたギロチンは受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関係せずに名誉ある斬首の刑が適用できる、人道的な処刑を行えるように作られたものだ。

つまりはあんなに残虐に見える斬首用の機械は人道的な目的によって作られたのだ。

アメリカの主張する原爆投下の正当化にも同じような理屈が用いられている。

「大戦によって多くの死者が出ていたため、原爆によって選局を確実なものとすることでこれ以上の被害を防ぐため原爆を投下した。」と

同意したくはないが、正直理解はできなくない。

大日本帝国軍が作った「素晴らしい」兵器に 回天 というものがある。

当時、世界最高水準の破壊力と速度を誇った超大型魚雷、「九三式魚雷」を人が乗れるように改造。長さ約14メートル、直径1メートル、水中を時速約55キロで進む。

潜水艦から発進する回天は、九三式魚雷の3倍という1.5トンもの爆薬を積んでいる。潜航中は前が見えず、推測で敵艦に体当たりを仕掛ける。

(中略)

実戦投入を急いだため、脱出装置は付けられなかった回天。黒木自身、訓練中の事故で殉職した。およそ1400人が搭乗を志願し、そのうち106人が戦死。平均年齢は21歳。特攻が失敗した場合には、自爆するよう命令されていた。


出撃すれば必ず死ぬ 鉄の棺桶 人間魚雷 “回天” の生き残り 
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/640268?display=1


このようにかなり奇特な発想から生まれた兵器である。ここで言及されている「黒木」というのは回天を開発した黒木博司少佐のことを指す。

実際にこのような兵器が存在していた以上、アメリカの主張は的を完全に外したものでもないのだろう。

このような兵器による死者は増えただろうし、原爆によって敗戦が確定したことで特攻せずに済んだ人も多くいたのだろう。その代わり多くの民間人と街が溶け落ちたが。

とにかく、人はいつか死ぬ。

それが地震なのか、まだ見ぬ戦争なのか、それともそれ以外の何かなのかはわからない。でも人は死ぬ。
それまでに後悔しないように生きろとか、熱量高めの綺麗事を言うつもりは全くない。ただ、人はいつか死ぬというだけだ。

腰の曲がったご老人も、ベビーカーに乗った赤子もいつか死ぬ。それを認識しながら生きてほしい。

以上が花火を見ながらつまらないなーと思いつつ考えた夏の備忘録である。

たぶん週刊であればいいのに