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幸田文 著/青木玉 編『幸田文きもの帖』読書感想文(たかつかな)

 絶賛お着物の勉強中であるお富ちゃんに薦められて、幸田文著 青木玉編の『幸田文きもの帖』を読んでみた。『留守』も衣装は着物になるし、着るものと生活は密接している。大正時代の勉強にもなるだろうと考えたのだ。

 幸田文さんは明治に生まれ、大正・昭和と日本の過渡期を生き抜いた人だ。まず文章がお洒落だなあと感じた。リズムよくポンポンと軽妙で、「きもの」への愛着がしみじみと伝わってくる。そうか、これが「粋」という文化の中で育った人の言葉選びなのかもしれない。エピソードの中に知人もたくさん登場するが、その人たちの「きもの」もキリリと粋で恰好が良い。観察眼と文章力のおかげか、失敗談まで小気味が好く、さっぱりとした人柄が伝わってきた。

着てきた着物をみんな記憶しているわけではありませんが、着物をたどると私の歩いてきた横道くねり道がそっくり浮き上がるのです。

とある通り、彼女の人生の中で「きもの」にまつわる思い出や美学が詰まっていた。

 私も「きるもの」に関しては自分なりの美学を持っており、たくさんの失敗をしてきた身なので、読み終えた後にいろいろと自分の歩いてきた横道くねり道がそっくり浮き上がってきた。

 七五三の時、私の写真はワインレッドのビロードのワンピースに白いタイツだ。ワンピースのことは記憶にないが、このタイツがとても気持ち悪かったことを覚えている。普段は冬でも裸足だった子どもには、タイツなんてチクチクもはもはして、早く脱ぎたかったのだ。

 小学生の頃、ピーコックグリーンに白い水玉の夏ワンピースを持っていた。袖のないデザインで、日焼けした腕にその緑がまぶしく映え、とても好きだった。けれど、母と出かけた秋口の日に「そんなもん着て」と怒られたことを機に着るのをやめた。季節外れなものを着て、と怒られたのだと思うが、私にはお気に入りを「そんなもん」と言われたショックが大きすぎた。

 私の通った中学校には制服がなかった。だからかクラスメイトの中には数人オシャレな人がいた。私も背伸びをして初めて買ったベレー帽を誉めれて嬉しかった。私の帽子好きはここからスタートしていると思う。今ではベレー帽だけでも色違い素材違いで20個くらい持っている。

 高校生の時に古着屋巡りにハマった。うちは貧乏だったので、古着屋・リサイクルショップ・フリマは私の味方だった。特に覚えているのが、ぱきっとした紫のビックTシャツに、反対色の黄色のスリムパンツを合わせていたこと。あの組み合わせは今も私の中で無敵の青春時代そのものだ。

 大学生の頃からレトロワンピースが好きだ。その頃出会った親友には「赤毛のアンみたいな子だった」と言われているが、それは赤いワンピースに茶色のショートブーツを合わせて着ていた時に初めて話したからだと思う。

 20代半ばまでは茶色やベージュ、クリーム色などは「つまらない色」「似合わない色」と思っていた。しかし働いていたアパレルショップの後輩が「森ガール」で毎日とても素敵なスタイリングをしていた。それに憧れて、わたしも少しずつ茶色やクリーム色を着るようになった。

 30歳手前、夫となる人との初めてのデートの時に着た、紺色のアシンメトリーな形のワンピースと赤黒ブロックチェックのタイツの合わせもよく覚えている。カフェでケーキとハーブティーを楽しみながら、のんびりおしゃべりをして、時々「眠いね」って沈黙して。その沈黙が心地よかった。

 30代になってからは、着心地という点にこだわっている。もともと肌が弱く敏感なのだが、それが年齢とともに顕著になり始めたのだ。化学繊維は避けて、綿の柔らかな素材のものに目が行くようになった。

 数年前、亡くなった祖母の形見分けが行われた。祖母は昭和初期生まれとしては背が高く、160㎝ほどあったため、着物のサイズが私に合うから持って帰れと言われた。(祖母の娘、私の母は小柄である)もし私が着なくても、演劇の衣装として使えるだろう、使わなくても解いて何か小物を作ればよい。私が持って帰らなかった分はすべて処分するから、と。
しかし私に着物を着る習慣はほとんどない。夏に浴衣を1.2度着て、秋に羽織をカーディガンとして使うくらいだ。年に一回くらい、晩秋に着物の中にタートルネックセーターを合わせてショートブーツで街を歩けたらいいな、程度で、きちんと着物を着る機会もなかなかない。
それでも「ええもんやから」と押し付けられて帰ってきた。ええもんなら尚更困るのだが。

 だいたい、私は普段、演劇の衣装を集めたり作ったりはしているけれど、着物は非常に扱いにくいのだ。よく手に入る正絹は高級感が強いから、そのまま着物として舞台上にあげることは少ない。舞台設定の中では「日常」を描くものが多く、礼装としてつかえる正絹は場違いになる。そのまま使うなら木綿などの日常着が有難い。が、祖母は日頃洋装だったのでそういったものはほぼ残っていなかった。(よく考えると祖母の和装姿を見たことがない)

 かといって「じゃあ解いて何か作ろう」となっても、正絹は細かく密度が高い織り方のためか、ミシン針が布を通るたびにミッチミッチと音がして、糸は荒れるし針はバリンと折れるのだ。あの時はびっくりした。何度やっても同じ現象になったので、やはり正絹の布はミシンと相性が悪いのだと思う。(本来はミシンで扱う布ではないだろうけれど、手縫いするほどの気概はない)

 そんなわけで、気軽に扱えない大量の着物が我が家の収納の中に眠っている状態だ。着てみたいけれど、という気持ちも添えてすべて引き出しのなか。
正直、着物はメンテナンスの方法もよくわからないし、帯・帯揚げ・帯締め・帯留め・半襟あたりの合わせ方もわからない。わからないから着られない。着てみたいけれど、買い足す必要のあるアイテムだってあるだろうし、着物には「格」があるようだから、小物もそれを合わせて買うとなると……はい、めんどくさい、お金がない、この思考も箪笥の中に仕舞われた。

 そんな時に、この「きもの帖」を読んだ。

若いかたが和服を着てくださると私たちが嬉しがるのは、あとつぎができたような気がして嬉しがっているのです。としよりには保存慾がございます。

 この文章から、ふと祖母とのやり取りを思い出した。18歳くらいの頃だったか、着物の着付けを教えてくれと祖母の家に行ったら、喜んで教えてくれた。少し経ってから、「安物だけど新品やで、家で洗えるからね」と渋いピンクの着物をくれた。私はそれを成人式で着た。(祖母には振袖を着ろと言われたが断り、その時に結構言い争ったこともよく覚えている)

 不勉強な私には、この本の中にもたくさんの知らない「きもの」の単語が出てきた。銘仙・黒繻子・結城・大島・甲斐絹・錦紗縮緬・羽二重・角どおし・狭帯……もう別世界である。
そして「これらの肌触りまで知っていたらもっと面白く読めたのだろうなあ」と欲が出た。そう、言葉の意味は調べたらいくらでも出てくる。しかし、きもの、布のこととなると「触ってみたい」と思う。そうすればもう少し身近になるかもしれない。けれど、「これは何?大島って、布の種類?織り方の種類?帯にこれを合わせると変になる?半襟にこれ使ったらおかしい?」なんて気軽に聞ける祖母は、もう居ない。

なれないことには失敗が付き物だし、失敗するから成長するのだ、と。着るもので一度も失敗したことのない女なんて、いないと思う。

 幸田さんはこう書かれているが、この年で初心者の失敗をしていく勇気もなかなか持てない。バーンと一式お任せしてそろえるほどの懐もない。これが「きもののハードル」なのだ。

 しかしながら、わたしの収納箪笥から「きもの」が消えることはないだろう。それについては幸田さんもよくご存じのことらしい。

着たい慾の種類も深浅もさまざまだが、慾をかなえたいと願う執念の軽重もいろいろである。慾はそのときばかりでなく将来へも及ぼす力をもっていることがおそろしい。

 いつか、着心地よく、普段着として、きものを着てみたいなと私は思う。


幸田文 著  青木玉 編 『幸田文きもの帖』読書感想文 たかつかな


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