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川越 宗一著『熱源』第二章サハリン島を読んで

上記のツイートにも書いたのですが、言語、文化、信仰、考え方っていうのはその人や所属集団のアイデンティティや世界観を形作っているので、それを資本主義や欧米の「文明」で上書きしてしまうのは世界観に対する殺人なのでは?で、そこから「フェイクニュースや似非科学も保護されるべきなのか?」という話を書こうと思っていたんですが、そもそも、『熱源』を読んでいない人には「アイデンティティに対する殺人」といってもいまいち伝わらないのでは?と思ったのでその辺りを説明できたらと思います。

文明に貴賎なし

例えば、文字のお陰で情報が保存できるようになったり、医学が発達して平均寿命が延びたり、貨幣によって価値を保存することができるようになったり、法律や政治システムによって認知の限界を超えた人数と共同体を営むことができるようになったり、こういった「文明」のお陰で我々は現在のような生活が過ごせているので、我々が持っている「文明」は良いものだと思っています。

第二章の舞台、19世紀のサハリン島にはギリヤークとロシアに呼ばれた少数民族がすんでいました。サハリン島の自然に適した素晴らしい文化を持っていたんですが、サハリン島がロシア領になることによって、自分たちの文化を捨てて「文明」に同化するか、「文明」を拒否して滅びるかの2択を迫られることになります。

ちょっと詳しく言うと、ロシア語を学び、ロシアの法律、慣習を学べば「文明」のメリットを享受することができますが、自分たちの文化は捨てることになります。(同化)ただ、ロシア語や、ロシアの慣習を学ばなければサハリン島での自分たちの権利を主張することもできず、搾取され滅ぼされてしまうことになります。(滅亡)

そのうえ、「文明」人たちは最初に説明したように「文明」はいいものだと考えているので、ありがたいものを授けてやらんでもないと思っている。というのが第2章の話です。

ちょっとまとまってないんですが、以上があえて殺人という強めのワードを使った理由となります。

ちなみに第一章はアイヌと日本人で同じような構図が描かれています。こういった話は世界中にあふれているのだとは思うんですが、改めて素晴らしい「文明」の押し付けってのは怖いなぁ。と思った次第です。

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