見出し画像

音楽について語るときに僕の語ること

四半世紀前によく聞いていたアーティストの新曲を聴いたら、あの頃と芯の部分は変わってなくて懐かしいのと同時に、今の自分には刺さらないことに少しの寂しさを感じた。音楽と言っても楽しみ方は人それぞれなので、自分の音楽の楽しみ方についてちょっとまとめてみた。

言葉 > 音

ティーンエージャーで不安定だった私にとって、音楽は言葉を音に乗せて伝えるためのものだった。人に言われたり、活字で見るよりも、音楽によって届けられる言葉に、私は共感したり、勇気づけられたり、慰められたりしていた。

四半世紀前と比べると私は安定している、ただその安定と引き換えに音楽によって届けられる言葉は刺さり辛くなった。35歳を過ぎると音楽は必要なくなるという話を以前どこかで見たが、それはたぶん、音楽によって届けられる言葉が刺さらなくなることの言い換えなんじゃないかと思う。

音 > 言葉

十代の後半から徐々に音楽によって届けられる言葉が刺さらなくなってきていた。そうして、少しずつだけど、私にとって音楽は言葉ではなく音自体を楽しむものに変わっていった

現在の私は言葉の入っていない音楽をよく聴くし、言葉が入っている音楽でも何を言っているかはあまり重要ではないと考えている。もちろん日本語で自分にとって不快な言葉が入っていると好んで聞きたいとは思えないが、そういったマイナスの要因がなければ、何を歌っているかよりも、メロディ・リズムはどうか、音はがどう重なっているかを重視するようになった。

そういった音楽は私をリラックスさせたり、無心に何かをするための導入剤になってくれたり、行きたくない場所に行くための一歩を踏み出させてくれたりする。

言葉 > 音 ?

ここまで書いて思ったけど、演歌が心に沁みると言われているので、もっと歳を取るとまた音楽で届けられる言葉が刺さるようになるのかもしれない。個人の才能や性格に依るのかもしれないけど。

それはそれで楽しみだったりする。


この記事が参加している募集

#自己紹介

231,067件

#思い出の曲

11,317件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?