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新年をどこでどう迎えて来たか

毎年何月何日をどこでどう過ごしてきたかを思い出すのはなかなか大変ですが、大みそかの夜から元旦にかけてどこでどう過ごしていたかは、私の場合比較的簡単に思い出せる、あるいは、思い出せなくても容易に想像がつきます。

高校までは実家暮らしでしたので、実家で家族と過ごすか、たまに行田市の母の実家に家族で遊びに行き、みんなで年を越すかでした。みんなまったりと年を越すのが好きだったのでしょう。年が明けてすぐ、夜のうちに初詣に行くなどということもしたことがありませんでした。

そんな過ごし方をしてきたからか、基本、私は大みそかの夜は紅白を見て、ゆく年くる年を見ながらまったりと新年を迎えたいと思っています。小さいころは真夜中まで起きていられず、新年を迎える直前に起こしてもらうかどうかで多少もめたこともありましたが、家族と一緒にまったりと過ごす時間が好きです。

大学生になって実家を出て新潟暮らしが始まりました。しかし冬の新潟の天気に耐えられず、冬休みは基本、埼玉に避難していました。たまに冬休みに卒論生や院生のフィールドで地質調査のお供をさせてもらうこともありましたが、場所はだいたい雪のない関東で、大晦日には実家に帰っていました。

しかし、社会人になると状況が変わります。

社会人になってしばらくして海外研修に出ると、イギリスで、一人で正月を過ごすことになりました。年末に南国からイギリスに移動して年明けからすぐに始まる研修の準備でまったく正月気分どころではありませんでした。

イギリス研修から日本に戻ると、両親も兄もそれぞれ海外赴任してしまっていて、日本には家族がいなくなっていました。

その年の大晦日は会社の寮で一人寂しく紅白を見て、新年を迎えると初めて真夜中に初詣に一人で行ってきました。近所の神社の境内でいただいた甘酒が暖かくて体に心にしみました。元日の朝、寮の管理人のおじさん、おばさんに呼ばれ、おせちをごちそうになりました。

両親が海外赴任中は会社の寮で一人まったりと年を越すのが恒例となり、やがてベトナム沖の石油掘削現場に赴任となりました。

海上の現場で迎えた正月は、新年を迎えた午前零時と同時に船の汽笛が鳴り響くだけの、前の日と変わらない真夜中から正午のシフト勤務の寂しい正月となりました。ただし、料理はちょっと正月バージョンでした。

ベトナム勤務が終わった年の大晦日は、やっと日本で家族がそろい、久しぶりに実家でまったり正月を迎えました。

結婚した後は妻の実家で正月を迎えるのが基本となっています。できれば冬休みには日本に帰り、年末から新年は妻の実家でまったりと過ごさせてもらっています。たまに日本に帰れない場合は、南国時間で明るいうちから始まる紅白をリアルタイムで見て、まだ宵の口なのにゆく年くる年を見るころにはすっかり出来上がっているのが恒例です。

昨年の大晦日から新年は、久しぶりに一人寂しく南国で新年を迎えました。年が明けてすぐ夜明け前に大嵐となり、雨が窓の隙間から家の中に吹き込み大変でした。

今年の大晦日の夜は妻と南国でまったり過ごすつもりです。

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