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強く、優しく、命が燃え尽きるまで:手話歌パフォーマー もとみちさん

「自分が生きている限り、誰かのためにどう命を使っていくのか。命を燃やし続けることで、命に意味を見つけたい。そう思っています」

SNSを中心に手話歌パフォーマー、そして俳優としても活躍するもとみちさん。彼の口から出てきた言葉は力強く、しかし、その一つ一つに込められた優しさが心に染み渡った。
ガラスのように透き通るもとみちさんの瞳には、何も隠すことなく全てを純粋に映しているように見えた。

もとみちさんの目に表現や手話というものは、どのように映っているのだろうか。命を燃やし続けたい、その根底にある願いにはどんな背景があるのだろうか。幼少期の記憶に遡りながら、これまでの歩みや理想の社会まで話を伺った。

*もとみちさんへ取材した経緯は、本編最後"あとがき"へ。


無関心から、心が鷲掴みされた演劇の世界

千葉県に生まれ育ち、学生時代から人を笑わせるのが好きだったというもとみちさん。彼は周囲を包み込むかのように穏やかな性格だが、実はクラスのみんなを笑わせるのが楽しくて仕方がなかったそうだ。

「仲の良いメンバーが散らばって座って、お互いに笑わせたら勝ちというゲームをやっていました。先生がいない自習時間には教壇に立って、『みんな、ちょっと聞いてくれ!』なんて深刻な雰囲気かと思いきや、しょうもないことを披露し始めるんです。みんなは笑わないように伏せているけど、僕は面白いことをして笑わせたい。そんな瞬間が楽しかったです」

一発ギャクとはちょっと違う、芝居に近い形だったという。人々の心に明るさを灯す力は、きっと当時から共通していたのだろう。まるで雲を突き抜ける光のようだと勝手に思う。

右:5歳離れた弟(左)ともとみちさん。
小学生時代、剣道の大会にて。

しかし意外にも学生時代の彼は、消防士に興味を持つようになる。消防士の夢に直接近づけるような大学に行きたいと考え、ある4年制大学の法学部を選んだそうだ。身を置いている環境から、できるだけ消防士になることに繋げようとしていた。大学の試験勉強や塾講師のアルバイト経験が、そのまま公務員試験に繋がるように工夫していたという。だがある日、そんな彼を変化させる出来事が訪れる。

「大学2年生の時、家族ぐるみで仲のいい友人が舞台に誘ってくれました。しかし最初は全く興味がなく、『舞台を見てどうするんだよ』と思っていたほどで。それでも何度も誘われたので一度行ってみることにしました。そこで舞台に立っていた大人たちがキラキラ輝いていて、自分が想像していた大人のイメージとは全然違ったんです」

HANDSIGN / 傷ついたから MV出演。
感情高ぶる様子を演技。

都市部に住む多くの現代人が抱いてしまうように、社会人になったら満員電車に揺られて忙しい日々を過ごしていくー。学生だった彼も、漠然とそんなイメージを持っていたそうだ。しかし、舞台に立っていた大人たちは、まるで希望の灯火のようで、彼の心を捉えて離さなかったようだ。その日を境に、舞台にのめり込んでいく。
演技の基礎を学ぶために養成所に入り、俳優への道へ一歩踏み出した。そんな彼に憧れの俳優を聞くと、“池松壮亮さん“だと語る。

「彼は演技の中で、真実を生きているんです。台本はあるけど、その空間がリアルに感じられる。人を感動させたり、泣かせたり、周囲の空気を一変してしまう力が本当に圧倒されます。感情を描く凄さを感じるんです」

手話歌パフォーマーという、新しい道に挑戦

表現の世界に身を置き、演技や歌などレッスンに励む日々。どのようにして手話に出会ったのかを尋ねてみると、「きっかけは一つではなく、断片的なものが重なって今がある」と答えるもとみちさん。記憶は幼少期まで遡る。

「母が手話の通訳をやっていたことです。小さい頃から耳の聞こえない人たちと会うのが日常だったため、壁を感じることはありませんでした。聞こえる人もいれば、聞こえない人もいる。そこには境界線が存在することなく、交流していたと思います」

手話の通訳を仕事にする母親を持つ彼にとって、手話歌パフォーマーになることは必然的だったと考える人もいるのかもしれない。
しかし、歳月を重ねていくうちに、手話と離れる時期も長くなったそうだ。そんな中、ある映画での出会いを経て、手話歌パフォーマーとしての活動を模索する長い旅がはじまる。

「手話に関わる映画に、ちょっとだけ出演することになったんです(『僕が君の耳になる』2021年公開)。聾の女優さんと共演するシーンがあり、彼女とコミュニケーションを取りたかったのですが、手話をすっかり忘れてしまっていて。小さい頃に触れていたからできると思っていたのに何もできず、それが本当に悔しかった。そこで母に電話して、少しずつ手話を学び直し始めたんです」

HANDSIGN / 私の耳になって MV出演。

当時の役について聞いてみると、「映画の中では脇役で、聾の女の子にぶつかって『ごめんね』と謝るシーンがありました。でも彼女は聞こえず通り過ぎてしまい、僕は『まじ意味わかんないわ』というような最悪なことを言ってしまう役です(笑)。でも僕はどんな役でもやりたいと思っています。むしろイメージとは全然違う役の方がいいです、殻を破れて面白いですから」と、その魅力についても語ってくれた。

当時、まだ手話があまりできなかったそうだが、周りからの勧めもあり、少しずつSNSで発信していくようになったそうだ。

「当時のマネージャーから、映画のテーマソングのキャンペーンの一環として、Tikitokに動画を上げてみたらどうかと言われました。『もとみち、手話できるならやってみなよ』って。最初はTiktokは女子高生がやるものだからと断っていましたが、何度も言われて1回だけやってみることにしました。すると、予想以上に反応が良かったんです」

当時はコロナ禍で仕事が全部なくなってしまい、外出もできない中、ライバーとしても活動したという。当時応援してくれた人たちが見てくれたり、映画やテーマソングを検索した人から注目を浴びるようになったりして、認知が広がっていったそうだ。

どう手話を届るか、その葛藤の先に見えてきたもの

コンサートやラジオ出演、手話ダンス甲子園の審査員、自身のグッズ販売を手掛けるなど、もとみちさんの活動の幅は広がっていき、いまではSNSの合計フォロワーは15万人ほどに。SNSではほぼ数日に1度、ラジオは毎日投稿を持続している。
果たして、誰を思い、何を考えながら活動しているのかを聞くと、もとみちさんの顔がパッと輝いた。
一つは、認知度が低いジャンルである手話に、いかにトレンドやエンタメに落とし込むかということ。そして、二つ目について次のように続けてくれた。

「必ず動画1本を通して、一つのメッセージを伝えることを心がけています。出したものには、それ相応の反応や結果が返ってくると思うんです。
例えば、僕が好きなMrs. GREEN APPLEさんの曲を使うとき、単に"壮大"や"感動的"なイメージだけだと視聴者にはその程度しか伝わらない。悔しさや悲しさ、喜びや素晴らしさなど、自分な具体的なエピソードを思い出しながら創ることで、その感情が視聴者にも届くと感じています」

自分のスタイルがだんだんと出来上がっていく中、手話というジャンルを扱うこと自体に葛藤した時期もあったという。

「手を動かした瞬間に怒られたり、耳が聞こえない人が身内にいることが恥ずかしいと思われたりする時代がありました。身内にいたら、押し入れに閉じ込められちゃうぐらい。
そんな時代でも手話を守ってきた人たちがいて、その歴史を知らずに手話をエンタメとしてやってしまった当初、様々な意見をいただきました。受け止めるべき意見もあり、その中で手話の歴史を知らなすぎた自分を反省し、手話の検定を受け始めました」

手話はろう学校で学べるようになったのは、およそ140年前。口話教育が始まったとき、手話が社会的に厳しく批判されていた時期もあったが、人々はその逆境を乗り越えていき今があるという。
そう振り返る彼をみて、壁にぶつかったとしても、うまくできなかったとしても、その葛藤を仕舞い込まずに一歩一歩進んできたのだろう。だからこそ、余力を残すことなく、その一瞬一瞬を燃え尽きる彼が輝かしい。

ラジオ配信 (イメージ)

手話歌パフォーマー以外で見せるもとみちさんの姿も、人気の一つだ。ラジオ配信“もっくんのモテちゃんねる“では、4年間毎日投稿を続けているそうだ。
しかし、なぜ“モテちゃんねる“なんだろう?と思い由来を尋ねてみると、彼は照れながらこう答えた。

「手話を始めていない24歳の時、“男子にモテたい女子のためのラジオ"というコンセプトでスタートしました(笑)。主に恋愛を中心に、完全に僕の偏見を話していて、今思うと黒歴史です。でも当時は、それが全体の意見ではないにしても、24歳のいち男性として参考になるかもと思って。
今は異性問わず、人として魅力的な人間になりたいという意味で『モテちゃんねる』という名前だけは残しています」

「ファンからもいじられていますから」そう笑う彼の表情を見て、本当は昔からのファンのためにも、そして活動の原点回帰としても大切にしたい。そんな想いを感じられた。

自分の知名度ではなく、手話だけが広がっても嬉しい。

活動している中、大きな変化があったという。
その一つは、手話に対する意識だ。最初の頃は、新たなジャンルの中で、戦略的に伸ばすことを意識したことも重なり、注目も浴びていた。
その一方で「急に手話の業界に入ってきて何なんだ?」「手話をわかっていない」という批判意見もくるようになり、壁にぶつかることになる。

「やっぱり僕がやっちゃいけないのかなと思ってしまいました。けれど、聾の方々に実際に意見を聞いてみようと思ったんです。すぐに聾のお友達に連絡をしたり、実際に聾の方々とあって生の意見を聞いたりしたところ、彼らからは『手話を広めてくれて嬉しい』『ありがとう』など、背中を押してくれるような言葉ばかりでした」

手話歌のみならず、日常会話も習得している。

彼の予想と反して、手話をエンタメを通して楽しく伝えることに、前向きな意見で溢れていたという。そんな当事者の声を聞くうちに、彼はある想いが芽生え始めた。

「自分が目立つためではなく、手話が広まればそれでいい。そんな想いが出てきました。僕自身の知名度ももちろんですが、僕の動画を見た人が手話を知ってもらえるだけで十分だと思うようになったのが、大きな変化です」

SNSで発信するということは、十人十色の反応が返ってくる。今では視界には入っていなかった角度の意見を知ることができ、自分自身の成長に繋がっていると語ってくれた。
さらには、手話歌だけではなく日常会話の表現を学んだり、聾の方とコラボしたりするなど、自分自身の挑戦を広げる日々だそうだ。

命を燃やし続けることで、自分の命に意味を見つけたい。

手話歌を届けるだけではなく、まるで自分の枠など存在しないかのようにのびのびと活動するもとみちさん。彼は、"表現"というものにどのような可能性や期待を抱いているのだろうか。
尋ねてみると「エンタメは、人生を豊かにしてくれるものだと信じているんです」と、まっすぐな想いで答えてくれた。

「エンタメは、特にコロナの時に『なくても困らないもの』とされがちでした。インフラでも、ご飯や服のような必需品でもないからです。でも僕は、むしろ衣食住と同じくらい重要だと感じています」

取材中のもとみちさん

そう感じた背景には、自身の体験に基づいているという。

「以前、中学生からのコメントで『学校にずっと行けなかったけれど、動画を見て夏休みが終わったら一回行ってみようと思えました』と言われたことがありました。僕はまさか手話歌の動画でそんな言葉をもらえると思っていなかったので、本当に嬉しかった。手話歌を通じて、そんなふうに人の心を動かせるなんて、希望を感じました。

他にも、『落ち込んでいたけれど、前向きになれました』というコメントをもらったこともあります。そんなコメントを見て、手話歌のパフォーマンスだけでなく、表現全体が人の心を救えるものだと感じました。
それができたら、自分の活動に誇りを持てますし、自分ももっとのびのびとできると思います」

ファンの言葉を嬉しそうに話す彼は、自分の生き方についてもこう語る。

「誰かのために活動することが、自分の命に意味を持たせることだと感じています。消防士になりたい夢も、そこが原点でした。今はエンタメの世界にのめり込んでいますが、この世界でも同じ気持ちです。
人はある日突然いなくなってしまうかもしれないから、健康でいるうちに、できるだけ多くのものを残して、与えられるものを与えて、最終的には満足して消えていきたいんです。

多くの経験を通じて、命の使い方を考えるようになりました。自分の命をどう使うか、誰かのために何ができるか。命を燃やし続けることで、自分の命に意味を見つけたいと思っています」

『命を燃やし続ける』というのは、すべてを懸けて生きるという彼の覚悟そのものだと感じさせてくれる。そんな彼に、今後の挑戦や理想の世界について聞いてみた。

「"英語のサンキュー"と同じくらい、手話の"ありがとう“を広めることが理想です。これは三浦剛(みうらつよし)さんという方の言葉なのですが、実際に聾の方から言われた話と聞きました。僕もその言葉をきいて感動しました。同じ認知度を目指すというのは長期的な目標になるので、燃え尽き症候群にならず走り続けられると思います。

挑戦し続けたいことは、自分以外の誰かと一緒に何かを作り上げることです。
例えば、今日この取材で使わせていただいているランデフコーヒーさんや、その大元にある福祉施設のランデフワークス(就労継続支援B型)さんと一緒に、僕のオリジナルグッズを制作してもらっています。僕のグッズがファンの手に取られ、ランデフワークスさんにも喜んでいただける、そんな"三方よし"の関係性を大切にしていきたいです」

実際に行動し続けているもとみちさんだからこそ、彼の言葉には説得力がある。最後に、この世界で何よりも大切にしているものはないかと尋ねた。

「自分への戒めも込めてですが、思いやりです。忙しくなりすぎると、最初に欠落するのが思いやりだと思います。社会が思いやりを失うと、殺伐とした世の中になってしまう。だからこそ、僕自身も、心の余裕、余白をもつことを大切にしています。思いやりで溢れる世界はつくっていけると、信じています」

もとみちさんについてはこちら
HPInstagram / TikTok / Youtube / stand fm (ラジオ)

あとがき 

初めてもとみちさんの手話歌をみた時、私は涙が溢れ、生きていることを実感した。
もとみちさんは亡くなった友人について語り、その感謝を表すかのように"僕のこと(Mrs.Green Apple)"の手話歌を始めた。
思い出はなくならない、なくさないのだ。誰かのことを想うことを決して忘れたくない。そんなふうに気づかせてくれた。
今回私は、天国にいる彼の友人のためにもたっぷりと手紙を書きたいと思い、筆を執り始めた。もとみちさんにとって表現は、彼のすべてであり、彼の世界であり、彼の愛なんだと勝手に思う。

"もとみちさんを、取材をしたい。”
そう強く思ったのは、何か同じ灯火を感じたからだ。
例え誰も見てくれないからと言って、伝えることを諦めてはいけない。目に見えなくても、目の前にいなくても、必ず聞いている人がいる。今届けているものは、過去からのバトン、そして未来への手紙でもあるのだから。

震災後の福島を取材していた私とは全く違うフィールドだが、声が届きにくい人の代弁者となること。私たちの世界で起きている・存在していることとして内面化する努力をすること。本質は似ているんじゃないかと思った。
改めて、大切なことに気づけた取材だった。


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