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インドでかつてあった幻の“ブラック・タージ・マハル”計画とは?【6/17はムムターズ・マハル忌日】


本日6月17日は、世界のひとつであるタージ・マハルがつくられるきっかけとなった日です。
タージ・マハルとは、インド北部のヤムナー川沿いにある建物です。草花に彩られた庭園を抜けた先に、高さ65mのドーム建築がそびえ、細部には白大理石の壁やヒスイ、トルコ石、ルビー、サファイアなどの宝石がじゃんじゃん使われ「イスラム芸術の至宝」と言われています。また年代記には「天井の七つの楽園をもしのぐ」とも記されているほどです。

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宮殿ではなく妃のお墓

この美しい建物が建てられたのは、1631年の今日、ムガル帝国皇帝のシャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルが産褥死したことがきっかけです。
皇帝は、彼女のために壮大な廟、すなわちお墓を建てることを決めました。これが、タージ・マハルです。(▼ムムターズ)

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豪華絢爛なつくりから、王宮やモスクの類かなと思いがちですが、この世界遺産の正体はじつはお墓。観光客はみな、ムムターズ・マハルの墓参りをしているということになります。

一人の妃のためにここまで豪華なお墓を建てるとは、他に類をみない功績でしょう。
これほどまでに廟にお金をかけられたのは、何よりも皇帝シャー・ジャハーンが、ムムターズを愛していたことに他なりません。彼は戦地へ赴くときでさえも、ムムターズを同行させていました。(▼シャー・ジャハーン)

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ですが、1629年に叛臣を討伐するためデカン高原へ遠征した際、ムムターズはすでに37歳に達しており当時では高齢出産でした。そして遠征先で出産した翌日未明に息を引き取ってしまいます。
言い伝えによると、出産直前にお腹の子が泣き叫ぶ声を聞いたムムターズが、シャー・ジャハーンを呼びつけて「お腹の子が泣き叫ぶのを聞いた母親は必ず死ぬという言い伝えを信じています。(略)私の名をいつまでもこの世に伝えのこす墓をつくっていただきたい」と夫に遺言を授け、息を引き取ったそうです。

これがきっかけで皇帝は、廟をつくろうと決心したわけですね。そして数千人に及ぶ職人たちの働きのすえに、22年もかけてタージ・マハルが完成しました。

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謎のブラック・タージ・マハル計画

タージ・マハルのほかに、じつはもうひとつ廟を建設する計画があったことはあまり知られていません。

シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの建設を行いましたが、それが完成すると、ヤムナー川を挟んだその対岸に、もうひとつ同規模の廟をつくろうと言い出しました。(▼ちょうどこの位置)

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いったい何のため? 1個あればいいじゃん! と言いそうになりますが、新しく計画したのは、自分用の廟。タージ・マハルがムムターズ用なので、川を挟んだ対になる位置に自分の廟を置こうと考えたのです。
デザインでも対称性を考え、白大理石でできたタージ・マハルに対して、こちらの対岸の廟は、黒大理石を使う予定でした。ブラック・タージ・マハルですね。

しかし、この廟は結局、建設されることはありませんでした。
タージ・マハルの建設によって国庫は逼迫しており、ふたつ目の廟をつくる余裕などなかったのです。なにせ22年間も建設工事をしていたのですから当然のことです。
シャー・ジャハーンの後に皇帝に即位した息子・アウラングゼーブは、財政状況をとてもよく理解しており、この建設計画を阻止し、父をアーグラ城へ幽閉したのです。

ブラック・タージ・マハルは建つことはありませんでしたが、父が幽閉されたアーグラ城は、建設予定地のすぐ近くの場所でした。彼は対岸に見えるタージ・マハルを見ては日夜涙を流していたそうです。もしブラック・タージ・マハルを建てたとすれば、同じように川を挟んで永遠にそばにいることのできない、歯がゆい思いをしていたのかもしれませんね。

(▼ブラック・タージ・マハルがつくられなかったので、夫はタージ・マハルの廟でムムターズと寄り添うように眠っています)

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Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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