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子供の写真で思い出す、応援してくれる人とドリームキラー

いま大学行ってる下の子の小さい頃の写真が、たくさん出てきてる。新しくMacminiを買ったのもあって、写真を片付けているのですが、とにかく写真にうつるのが好きな子で、ちょっと時間があったら「撮って!」という。

10年以上前の写真だが、なかなかにかわいい。本人はかわいいというともう恥ずかしい年齢なので言わないことにしているが、当時は連れて歩くと女子高生から「かわいい!」って叫ばれる程、人気があった。

中身もけなげというか、機嫌が悪くゴンタしてなければ、「だいじょうぶ?」って声がけするやさしい子。わたしが体調さえ崩してなければ、本当に楽しいママライフを送れたんだけどなぁ。。

当時からもうすでに、ハンドメイドにシフトしていて、当時は布で人形と、あみものを作っていた。ただ、やっぱりわたしがハンドメイドをしていることは反対されていた。まだ仕事としてはまったく芽が出てなかったので、実力不足と思っていた。

当時作ったテディベアは今年何体かお迎えが来ました。実力はありました。まったく知られてなかっただけでした。

手編みで子供のセーター編んだら、むちゃくちゃ怒られた。似合ってたし、なんで?と思っていた。

90サイズ。ロピーセーター

この人、ドリームキラーだった。
わたしのすることは全部反対する。しかも理由など特にない。ドリームキラーが現れたら飛躍のチャンスなので、どんどん前へ進めばよかったのだ。

会社向けにカーディガンを編んだときも、やはり文句ばかり言っていた。しかし、当時ユニクロくらいでしかカーディガン売っていなくて、仕方なく買ったカーディガンが仕事場でかぶってしまったらしい。いわゆる「ユニかぶり」して、その人に着てくるなって言われて会社で捨てたとのこと。
その結果、わたしの編んだカーディガンを文句を言いながらずっと着ていた。

昔からユニクロをやたら気に入っていたようだが、デザイン被り以前に、とにかく傷むのが早い。服を作れたわたしが見て、生地の品質がとても気になっていた。のだが、言うと怒るので黙っていた。もう今はタンスに一つも残っていない。わたしのカーディガンはまだ現役だ。

一応編み物は資格持ち。資格を取った時も文句ばかり言われていた。出したお金は、編み物の仕事で返ってくると思って出したとの事だが、確実に返ってくるなら100万単位の学校でないと無理と聞いた。
わたしとしては、技術がプロに裏打ちされたのと、小さい頃から通いたかったあこがれの講座だったので、文句など気にならないほど熱中して通っていた。今も肩書きとして書けるのは、この資格くらい。

当時もいまも、子供たちはわたしの作ったものをよく着用してくれる。上の子の仕事着は、上から下までわたしの縫った服。下の子もわたしとお揃いの服を喜んで着ていた。(さすがに今はしていませんが)
実力には自信がありませんでしたが、「既製服より着やすい」とボロボロになるまで着ている。そりゃあ、細かい注文を聞いて、当時なかった、しゃがんでも背中の出ないパンツなど作ってたし。今ならワークマンで買えるみたいですけどね。

ほんと、今思えば、あんなに反対されてよくモチベーションが下がらなかったものだ。売れてなくて、素人だったのにね。

エネルギーの源泉は、はじめてレース編みを編もうと思った、母の持っていた本に載っていた素敵な作品たちです。あれから50年ですが、今もまだわき続けている。憧れってすごいね。今も大好きです。

おかげさまで、今なんとかハンドメイドで作品を売ることが出来るようになりました。ショップを作る時に父が一瞬ドリームキラーになってましたが、父は生前はわたしの作品を一番応援してくれてて、何度も作品送れ、ベスト着るから、とか言ってました。いまの作品見たら、一番喜んだのは父だ。もっと元気なうちに報告すればよかった。

父が見てくれているから、ショップが順調なのかもしれないな。反対する人は無視して、どんどん前へ進もう。

憧れの、作品たちのように、わたしの作品を見て作品作りをしたいと思ってくれる人が現れるかもしれない。
その子の源泉になれるような作品や、メディア展開が出来たらいい。教えるのは、技術だけでなく、もっと何かあるはずだ。今、それを探している。



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