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天命ではなかったのでしょうか

やりたいこと=天命 ではない時もある、と聞きました。
天命は才能の中にある人もいれば、違う人もいると。

じゃあ、いまのわたしは違うのか?
だって、ずっと、やりたいことをやっていて、周りとうまくいってないから。

わたしは1歳の時、ペンを持ちありとあらゆるものに落書きをしていました。
自分の母子手帳、落書きがひどくて、読めない程でした(笑)

どこへいても、絵を描いていて、紙がなかった頃だったので、チラシの裏、新聞紙の端、誰かの著書、雑誌、など構わず落書きしていたため、祖母から自由帳を買ってもらったり、1円で買える藁半紙を買ったり。白い紙が5円だったので、まず買えなかった。

小さい子や妹たちにアイスやジュースを買ってあげないといけなかったので、お金をもらっても、紙代には当てられず、鉛筆も父の製図用2Hしかなくて、力任せに書くと紙が破れる。本をボロボロにして怒られて、製図ペンは手の届かない場所に置かれた。
だから、庭に石ころで落書き。

手芸の方は、家に母が裁縫学校や編み物を途中で挫折したものがあって、使っていいと言われたので本にある作品を手始めに編み始めました。

どちらも、誰から言われたり薦められたものではありません。
どちらも高校時代は熱中していました。そして、将来もしたいと思ってましたが、卒業したら働けと言われて大喧嘩の末、就職しながら絵も手芸もやっていました。

よく、公務員になれとか、何々の仕事をしろ、とか言われたと言う話を聞くのですが、わたしは小さい頃からやりたかった事があり、それを反対されただけで、何になれと言われたことはありませんでした。

今も続けていますので、絵に至ってはもうすぐ60年になります。

でも仕事に出来たのは数年だけ。30代以降、「絵を描けるチャンスは若い子にしかない」とか、独身じゃないとダメとか、突然言われるようになり、仕事をクビになりました。

今でも絵は描いていいけど、仕事には出来ていないです。手芸を仕事に出来たのも、数年前からです。

小さい頃から、天命だと思ってたし、ずっと続けてきて情熱も絶えませんが、反対者が多くて、ずっと、何でだろうと思っています。

今も反対されながらやっているので、邪気がものすごくて、払ってから作業をはじめたら、1時間も出来なかった、という日々。

わたしが思うに、人の指図に従え、と言うひとが、2000年代から急に増えてきたように思います。
いま、自由にやっていい、と言ってくれる人はわたしの親しい人にはいません。

あとは、自由にしたいならお金を払え、という人も増えました。
ネットでは自由は全くなく、書いていけないことだらけです。

クリエイターが作品を発表してステマと言われる。自分の作品なのに、説明に地獄の近況を書くと、わたしの作品に興味もない人に叩かれる。ネット以外に発表の場がほぼない。
どこに、自由があるの?

現実にも、空想にもないんだけど。

わたしは、自分の作品を作りたかった。
でも、人生のストーリーを自由に描く権利をいつも誰かに取られてしまってる。

わたしは何か間違えてるの?
それを聞いてくれそうな人に聞いてみましたけど、イエスと言ってくれた人は数人しかいなかった。たいてい、お金目当てだったので、断りました。

年金生活なので、2万でもきついです。
結局人形売ってに戻ってくるから、もう聞かないことにした。

わたしはやりたいことがたくさんありますが、どれをやっても周囲が幸せになりません。
60年やってきたことが間違いと言われたとしても、もうやめるつもりはありめせん。
こんなに好きなことが、何故ダメなの?

…好きなことをすることは、エゴと呼ぶのですか。じゃあ、小さい頃あちこちに絵を描いていて、絵をそのまま仕事にすることは天命じゃないの?
たしかに書いてはいけないものにまで描いていたけど。。
いまはさすがに、描くべき紙やPCで描いてますが。

ちなみに、他の才能だと計算の速さ、誰とでも会話できる能力、大きな声(うちでは、嫌われているので、美声ではないです)、今までやってるので手先は器用、人や動物、モノの危険を察しとる力、意外なところでは香りの感度が高いです。ファッションコーデも得意な方じゃないかと(お金のかかるブランド系は知らないですが、この服のここを直せば快適に着られる、目で測れるリユース能力はある)あとは動物植物の名前、そうとう言えます。

実は、これをそのまま表現すると「実店舗」「喫茶店ナンシー」みたいな感じになるのです。知ってます。やらないのは、お金がかかること、常連さんとトラブルになっても逃げ場がないからです。

うちの子供たちは、本当に自由な服装をしています。ただ、自由に生きていいと言われて出来る子と出来ない子がいる。

人が嫌いになってしまうと、才能って人に気づかされることが多いので、見つけにくくなってしまう。
わたしに才能を教えて、と聞くのに、提案してもやってくれない。
他の人には聞かない。
才能を見つけるのに、出会いって大事なんだよ。いまの仕事でも、人に出会えるチャンスは多い。体の調子が悪いから、チャンスをつかむセンサーが使えなくなってるんだよ。
ポイントは、我が家以外にあるはずだ。才能も外にある筈だ。
なぜ、家で出来ることでしか探そうとしないのだ。
家にあるものは、ただの道具と場所。内なる声を呼びさますきっかけが、家の中にはないから、この年齢でもわからないんでしょ。外で探してきてって言ってるんだが、、

うまく伝わりません。
下の子はさっさとそとで探してるから、周りがめちゃくちゃ味方になって、ムーブメントになっちゃってるよ。これが、本当の天命に生きるってことなんじゃない?

いま、わたしはカタチを生み出す人形づくりに熱中していますが、少なくとも、過去とはっきり結びつける出来事はいくつかありました。人形作りの得意な親友との出会い。手芸専門の本との出会い。街角のショップで見つけた本からのテディベアの先生との出会い。編んで作る「あみぐるみ」の仲間たち。作っていなかったら、梅田で仕事してなかったら、SNSしてなかったら、出会うことはなかった。
意外にも、いま一番苦手としているSNSが、作家人生のはじまりでした。
家族にはムーブメントは見えてないから、理解しづらいんだろうなあ。

見えていないことで、なかったことにされ、実際のわたしは作ることを邪魔されています。
だからネット上だけでうまくいくとは思ってない。実際に、出会いがある筈なのです。しかし、作家として仕事をしても、リアル人間パイプにつながる気配が全くない。

次の一手を打たないといけないのかも、例えばイベントに出るとか。
でも今、まじでお金がないので、出会いがなかったらいずれはやめなくてはいけないのかもしれない。
本当に認められた人は、すぐに本の話が来る世界ですが、わたしの所へそんな話は来たことがありません。フォロワーさんも二けた違う。

これって、諦めて別の道を探せってこと?
別の方には、「誰でも出来ること」って言われちゃいましたが、、そんなに誰でも出来ることではないよ。
作ってるものを変えるなら、簡単に出来ます。たとえば本当は人間を作りたいけど、動物のリクエストしか来ないので動物ばかり作っている、がわたしの現在地です。人間を作りたい、という気持ちは置いたまま。動物作りのリクエストに応えるだけでも、すごい数でいつまでも作り続けて、人間に戻れるのがいったいいつになるか、、

他の方の作品を見るとわかるのですが、人間の人形作りに向いている人、動物に向いている人って全然違うのです。ってことは、わたしの「人間を作りたい」という心の声は、なんだ?

もしかしたらこれが天命なのかも。。
ってことは、いずれ別のブランドを作って、人形専門にしないといけないってこと?

昨年の予想は見事に外れました。全然予想もつかない考え方を身につけたわたしが、今ここにいます。来年の予想も外れそうなので、もう書きませんが、周辺がかなり変わるので振り回されるのだけは確定です。でも、もう心は振り回されないぞ。

自分の夢に向かって邁進出来るのは、何年後なんでしょうね。

ps。今、ピンク軍団を作り続けていますが、これも流れを感じています。なので、しばらく作り続けます。何になるんだろうなあ。

フォロワーさん、じゃない方、いつもたくさんの方に読んでいただいてとてもうれしいです。ありがとうございます。