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本は、わたしの大事な友達

子供の頃、本は友達だった

わたしは実は子供の頃から本をかなり読んでいました。これを書くのは本当にはじめて。初出しだ!すっごい恥ずかしいぞ!

そして影響を受けやすい。物語の中にどっぷり浸かって、主人公の友達に(なんで友達なのかは、わからない)なりきって、一緒に遊んでる。

という見た目では不思議ちゃんでした。

読書感想文はまったく書けませんでした。というのも、わたしは本を読むのは好きだけど、言葉を落とし込む能力がすっぽり欠如していた。
子供に出たのでわかった。おしゃべりは出来るのですが、しゃべったことを書けば、と言われても書けない。なのに、映像記憶や音記憶はそうとう強い。

いままでは、本を読んでないって言ってました。ようは、読書感想文や文章を書けない理由を説明するのが面倒だったので、読んでないって言った方がわかりやすかったからです。。

そういう意味では、若干発達障害があったのかもしれませんが、なにせ学習能力が高くてテストの答え書くだけなら、すいすい書けたもので、そういうあれこれにほとんど引っかかることなく過ごしました。高校までは。

国語の「主人公の気持ちを書きなさい」がまったく出来ないまま、高校へ進学して、古典の先生に指摘された。「お前、なんで人の気持ちを文章に出来ないんだ?」
そこではじめて、自分の能力が欠けていることに気づいたのです。。

古典は現国より、人の心のうつろいを問う問題が多いんですよね。

先生はわたしの添削をしてくれる、と言ってくれたので、毎日自分の気持ちを文章にして(日記ではなく、新聞記事のような感じで書けと言われました)添削してもらうことに。
この特訓のおかげで、半年後には文章がすごくたくさん書けるようになりました。

それから文芸系の同人誌だったり、投稿でも絵だけなく文章もするようになり、毎日すごい数の文章を書くようになり、現在に至ります。川柳やコピーを投稿したこともあるな。

で、子供の方も、実は高校で、添削されてた。どこまで似るんだよ笑

大学はレポートがあるから、文章いっぱい書くもんね。よかったよかった。

で、ここから話はいっきに変わります。

本を読む理由

最近も本を読みます。でも、子供の頃とは全然違う。
わたしは20歳くらいの頃、マニュアル本にどハマりしたことがありまして、ないと耐えられないって感じだった。どう考えても異常でした。
当時は別れた彼氏にストーカーされたり、知らない男性についてこられたりとイヤなことが続いていたのもあって、人生哲学みたいな本を読んで、自分を変えようとしていたと記憶している。

ようは、自信がなくなっていたんですね。
自信って、うまくいっていない時はぐらつくんですよね。仕事はうまくいってたけど、プライベートがうまくいかない時(今もそうやん!)。

その時の本は、結婚が決まった時全部捨てました。

で、現在も似たような状況になっている、仕事はなんとかなってるけど、プライベートがちょっと。。。それで、自分を納得させるために読んでるのかも。あまり良い読み方じゃないなぁ。

わたしは本来の性格では、人にあれこれ指図されるのが苦手です。だから、指図もしません。でも、今って、指図されたがってるような気がするのです。わたしだけでなく、他の人も。

守るべきもの、捨てるものを見極める

今のわたしの本の選び方は、こんな方法もあるよ的な軽い本が多いですが、少し前、心が壊れていた頃は、「わたしは間違ってない」的な本ばかり探してて、なかったら捨ててた。
当時は、崩れゆく自信を必死でつなぎ止めようとしてた。でも、自信というのは、人格否定までされたら崩壊するもので、壊れたらまた直すしかない。
否定程度で壊れる自信なら、持っておくよりそぎ落とした方がよかったのだ。

考え方にも問題があった。
たとえば傷ついたら、傷んだ場所に薬を塗る。言葉で傷ついたら、その言葉を覆す理由ばかり考えていた。しかし、言葉で傷つくのはひとつの場所だけではないのだ。

言葉で傷つくと、自信、行動、やる気、健康、人間関係など体や心がすべて壊れる。
今回学んだのはそれだ。本数冊で対処できるものじゃない。
わたしもかなりのものを、失ったが、幸い正気だけは失わずに済んだ。失ってないから、うつじゃないって言われたんだろう。
直前に読んだ、メタ認知の本のおかげだから、本で助けを求めるのは間違ってはいなかった。

どちらにしても、自信を失ったままでは危険だ。ので多方面の本を読むことにした。
まずは、健康を取り戻すこと。そして、魂の浄化と、波動を上げること。

わたしは元体操部なので、体幹トレーニングをまず行った。もともと、常に行っているが、少し強めのプランクなどを取り入れたり、坂道ダッシュなどで足腰を強化。
言葉でダメージを受けてすぐトレーニングってなぜ?と思う方もいるかもしれませんが、部活やっていると、自然にこうなります。

ふだんはあまり読まない、心を整える本やスピリチュアルも読んだ。わたしは実は、スピ系って言われたことがありますが、まったく逆です。ワクチンもすぐ打ったし、母親が何か売りつけられそうになったのを止めたりしていますので、お金や集会の話が出てきたら即座に会話をやめます。
パワーストーンくらいでしょうね、信じてるのは。もちろん、高額になったら手を引くよ。

ただ、いちどに取り入れる言葉には限界があるらしく、特に自信を失った直後は、メール1本で限界を超えてしまった。
いったんやめて、トレーニングいっぱいして、さんざん泣いて落ち着いたらまた本やnote記事を読む。こういう時は、note記事の方がはるかに読みやすかった。続けていて良かった、と心から思いました。

いまはずいぶん落ち着きましたが、昔の作品がよく売れた際、どうしてもひとつ見つからないものを探し続けたら、また調子がおかしくなってきました。やはり作り出すものは、いま作っているものの方がいい。大事なのは今に心の中心を持っていくこと。過去作探しは、いま手元にあるものでいったん終了。

だいたい、目標だったギャラリー展示がまだ達成出来ていないんだよ。過去作が売れたのは、わたしに自信もっていいんだよ、って意味だったんだろうと。ギャラリーに展示するためには、いまの作品が充実してなきゃいけないじゃないか。

というわけで、ようやく前に進む準備が整いました。やるべきこと、やらない方がいいことが、かなりはっきりわかるようになった。この勉強をさせるための、試練だったのかもしれない。

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