うつになって気づいた100のこと|マウンティングの贖罪
マウンティングという言葉が
浸透し始めたのは2014年ごろかららしい。
その時放送された人気ドラマの影響だとか。
最近ではすっかり、それとなく自分の優位性を
示そうとする振る舞いや発言は
無粋で低劣なものとして、皆が意識して
避けるようにしているように思う。
最近、ふと昔のことを思い出すことが多い。
休職期間に入ってから、ぼーっと
過ごすことが増えたからだろうか。
昔、特にまだ新入社員だった
22〜24歳ごろのことをよく思い出す。
思い出すのは良いことばかりではない。
なんでもない、ふとしたワンシーンや、
自分のとった行動、発した言葉が
いきなり蘇ってくる。
今考えると、あの私の発言や振る舞いは、
完全にマウンティングだったのではと
振り返ることが多く、その度に手に汗を握る。
私は当時、大手の大企業に入社し、
ちょうど初任給やボーナスをもらって
学生時代の頃と比べると通帳の残高が
一桁違っていることに感激を覚えていた頃。
長期休暇に入って、久しぶりに地元の友人と
会うことになった。
高校時代から一番仲良しの友人だ。
場所は私が決めた。
大阪のショッピングビルの中に入っている
少しお高めのカフェ。
お互いの生活や仕事、恋愛の話など
学生時代と同じように、近況報告をした。
彼女も、第一志望の就職先に入社し、
順風満帆な社会人生活を送っているようだった。
彼女はファッションのセンスが良い。
流行や質の良いものに敏感で、いつも参考になる。
自然と、最近買った物の話になる。
彼女が着ていたコートやしていた腕時計は
割と高価なものだった。
決して彼女は自慢げではなかった。
ブランドものを自慢するような性格ではない
ことは私は知っている。
戦利品をゲットできたことの喜びを
素直に私に共有してくれていた。
私もファッショに疎いわけではないが、
彼女ほど着るものにお金をかける方ではない。
彼女の話を聞きながら、改めて自分の
着てきた服に意識をやった。
全身ZARAとユニクロのコーディネート。
家を出る前は、いい感じだと思っていたし
実際お気に入りの服だったにも関わらず、
なぜ私は今日これを着てきたのだろう、と
心の中でどうしようもない後悔をした。
あっという間に数時間が経ち、
そろそろ行こうか、という雰囲気になった。
私はとっさに伝票を手に取り、
ここは私が払うから、と颯爽と立ち上がり
涼しい顔で彼女に言った。
私はその時の、
彼女の戸惑った表情が忘れられない。
私が想像した反応とは全く別ものだった。
「え、やめてよ〜^^;」
なんでよ、出す出す、と彼女は財布を出した。
「いや、私がここに呼んだし急だったし」
と、私はよく分からない理屈を言って
自分が支払いすることを押し切った。
「そ、そう、、ありがとう」
根負けした彼女の顔は
あまり見たことがない曇り方をしていた。
とても、おごってもらって嬉しいと
いう表情ではなかった。
今考えると当然だ。
いつも当たり前のように割り勘だったのに
急に私がおごると言ったものだから
きっと変に思っただろう。
あれは私のマウンティングだったのでは
と最近よく振り返る。
私だってそこそこ稼いでるの、
とでも示したくて、
思いついた方法がそれしかなかったのだ。
大好きな友人にそんなことを
示さなければならない理由もないのに。
あの時は若かったといえば
許されるのだろうか。
私がお会計のレジから振り返ったとき
カフェのソファーに座ったまま
少し悲しそうにしている彼女の姿が
今でも鮮明に蘇ってくる。
さっきまで楽しく過ごした数時間が
まるで幻だったかのように、なんとなく
気まずい空気が流れたまま
私たちはバイバイをした。
久しぶりに会った大切な友人に
本当に申し訳ないことをしてしまった。
久しぶりの再会を最後に台無しにしたのだ。
そのことを自覚し認めるのに
何年も経ってしまった。
この自覚があるからこそ、
私はもう二度と、マウンティング的な
言動をしないよう、人一倍意識をしている。
その彼女とは、10年経った今でも
一番の親友として、関係が続いている。
彼女はどこかで許してくれたのだ。
若かった私の罪深いマウンティングを。
大袈裟かもしれないが、
見栄っ張りだった私に愛想を尽かさず
友人で居続けてくれた彼女には
感謝しかない。
大切にしようと思う。
私のエラーをそっと受け流してくれ、
少しずつ成長するのを待ってくれる存在。
次に会う時は、
その時の話をしてみようと思う。
彼女はきっと、全く覚えていないか、
笑い話として受け流してくれるだろう。
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