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掌篇小説「さらさら」

交換留学の期間が終わって、海へ帰ることになった。

こちらの作品は同人誌『キラキラ』に収録されています。



掌編小説「さらさら」


 交換留学の期間が終わって、海へ帰ることになった。

 河童のアイちゃんは寂しがってくれた。

 私も寂しかった。アイちゃんと離れるのも、慣れてきたバイトを辞めるのも、せっかく手に入れた人間の足を失くすのも寂しい(まあ、尾のほうが便利だけれど)。

 何より、もうここに来られなくなるのが寂しかった。

「どうぞ」

 テーカップとポット、それから砂時計を置いて、彼女が微笑む。

 砂時計の砂がさらさらと落ちる。カウンターへ戻る彼女の、一つに縛った髪がさらさらと揺れる。開け放たれた窓から、さらさらと葉擦れの音がする。

 彼女の小さなカフェ。ここでは時間が、穏やかにさらさらと流れてゆく。

 地上へやってきて、一番気に入った場所だった。

 仲間たちは大半が留学先にシンジュクやシブヤ、あるいは海から離れるのが不安だからとショウナンあたりを希望したけれど、私はせっかくだからと山の中の町を選んだ。この選択は大当たりだった。

 初めて彼女を見たのは町はずれのサイジョウで、彼女は黒い着物を着ていて、白い肌にとても良く似合っていた。隣りにいたアイちゃんに言ったら「あれは喪服っていうやつだね」と教えてくれた。数日前に、彼女の夫が亡くなったのだという。人間のことまでよく知ってるねと感心したら、この町は人間も妖も少ないからねと返された。そんな会話の間に、白い箱を抱えた彼女は黒い車に乗り去っていった。

 次に彼女に会ったのは翌日、彼女が経営するこのカフェでだった。

「メニューをどうぞ」目の下に隠しきれない隈を浮かべ、けれど余分な力の入らない静かな表情で、彼女は店を回していた。彼女が動くたび、さらさら、悲しみの粒子が彼女の体から流れていくのが見えた。

 彼女はなにひとつ滞留して淀むことのない、流れゆくままの人だった。彼女の店もまた、同様の空気が循環していた。

 ものをやたらと持ちたがる人間の中で、彼女は異質な存在だった。やがて私は店の常連になった。

 今月いっぱいで町を離れるんです、と会計時に告げると、彼女は寂しそうな顔をした。そんな顔をしている最中にも、寂しさはさらさらと彼女から抜けていく。ああ好きだな、また会いたいな、と思った。

 次に地上に来られるのは、早くても百年後だった。そのときもきっとまた会いたいなと思った。だから言ってみた。

「こっちに戻ってこられたら、またお店に来てもいいですか」

「もちろん。待っていますね」

 嬉しくて勇気が出て、私は鞄から贈り物を取り出した。

「これ、もらってください」

「お気遣いありがとうございます」

 彼女は案外すんなり受け取ってくれた。渡すときに指が触れて、天にも昇る心地だった。

「お肉です。新鮮なうちにどうぞ」

「お肉」

「それじゃあ」私は足取り軽く店を出た。

 外では夕暮れ時の風が心地よく吹き抜けていた。大きく腕を振りながら歩き出す。気分が良かった。勢いで昨日巻いた腕の包帯の端が外れてしまったので、全部解いて放り投げた。包帯は風にのって遠くへ飛んでいった。

 昨日抉った腕はきれいに治っていた。百年後の再会が楽しみだった。私は人間の足で踊りながら帰路を辿った。




販売情報

作品紹介
 なみなみ注がれたコップの牛乳に溺れてしまって遅刻した。
 友人の目から零れる『キラキラ』をコンタクトレンズのように加工して装着してみたり、なみなみ注がれたコップの牛乳に溺れて会社に遅刻したり。息苦しくて、さみしくて。懐かしくて、もう戻れなくて。けれど欠片みたいな希望も、きっと近くに転がっている——。

 そんな日々を集めた表題作ほか、幼いころに雪女と暮らした女の幻影を描く「銀色」、幽霊となった兄に触れたい弟の「とおくはなれ、ひとつ」等、ゆくあてのないさみしさをかかえた人へ贈る二十の掌篇。

『キラキラ』表紙画像

値段・ページ数・判型

700円(イベント価格)/86ページ/文庫判

購入方法

年2回の文学フリマ東京を中心に頒布。
販売サークル:七つ森舎(ななつもりしゃ)

通販

下記サイトにて販売中です。
(イベント時とは価格が異なります)


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