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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て #9

 ヘーガー将軍の邸宅は、貴族街の中でも奥の方にあった。歓楽街に飲まれるように変革を遂げた王都においても、貴族街は一見すると静寂を保っている。
「――といっても、内情は大して変わらないだろうね」
 そんなミックの一言が苦く吐き出されたのは、貴族街に入ってしばらくしてからのことだった。
「大して変わらない?」
「国が腐る時は、決まって良い立場の者から腐っていく。賄賂をせびった軍人は一見すると下っ端だけれど、彼らも平均から上の人間なのさ。本物の下、王都の貧民はとっくに死ぬか、逃げるか、体を売って食いつなぐかのどれかを選んでる状態だ」
「……そう、なのか?」
 憎々しげですらあるミックの言葉に、ユルクは怯んだように相槌を打つ。ヨハンはというと、回りが静かになったからか、眠たげに目を伏せてうつらうつらと船を漕いでいた。
「この厚い生け垣と華美な窓の内側には、さっき見た王都の縮図がある。腐敗を美で隠そうとしてるってわけさ」
「見たのか?」
「え?」
「その……そういうもの」
 返事は、すぐには返ってこなかった。十数秒以上が経っただろうか。おもむろに、ミックは一度途切れた会話の回答を述べた。
「いや」
 さらなる空白。そして、
「ある程度は、僕の想像だよ。どうせ人間なんてそうだろうっていう、ね」
「…………」
「ユルク。君は僕を責めるかい? 人を醜悪と決めつけた僕を」
「……何でそんなこと聞くんだ」
 ミックは、答えなかった。その口から出た言葉は、今までの会話とはまったく関係のないものだった。
「ああ、見えてきたよ」
 ユルクは、御者台に座るミックの向こう側にそれを見た。先程から、貴族街の様相は少しずつ変わっていっていた。家を囲む垣根は頑丈な石積みになり、反面、家の装飾からは華美さが消えていく。質実剛健、といった風体の家は、ともすると古臭いようにも、ユルクの目には見えた。
 そのうち、馬車はある邸宅の前で停車した。門の前に立っていた、警備の者が誰何すいかの声をかける。ミックが応じると、程なくして鉄門が重い音を立てて開かれた。
 馬車ごと屋敷の敷地内に入っていく。門から玄関口までは馬車を停めるためか広い敷地が確保されており、ユルクたちが乗る馬車もその一角へと誘導された。馬車から降りると屋敷の中へと通される。
「――それでは、こちらの部屋でお待ち下さい」
 屋敷に入り、兵と入れ替わりでユルクたちを案内した執事らしき風体の男に、応接室へと通される。ひとりがけのソファにミックが座り、ユルクとヨハンは壁際に置かれた木の椅子に腰掛ける。
「なんでおれたちの椅子は硬いんだよー」
「そりゃ君たちは人足、下っ端も下っ端の下働き扱いだからね」
「……ミック、えらそー」
「偉そうじゃなくて偉いんだぞ……バルボ商会の商人なんだし」
「あれ、カンテーシとかいうやつじゃなかったの?」
「基本は鑑定しかしてないんだけどねー。一応資格も持ってるし、今回は名目上とはいえバルボの名代みたいなもんだ」
 言いながら、ミックは抱えていた鞄から書類を出す。ユルクたちの目的は竜についての情報の明け渡しだ。しかし表立ってそんなものを売買すれば、国に目をつけられる――ともかく軍が目立つ動きをすること自体を王家が何故か嫌っているというのが実情らしく、その目をかいくぐるために、表面上は普通の商取引をヘーガーとすることにしたのだ。
 ――ともあれ、その表面的な取引は、ブラフでも書面上だけのことでもなく、実際に行われた。

 書面を介して工芸品から高級食材まで、様々なもののやり取りが行われた。その間、ユルクとヨハンは黙って待ち続けていた。退屈な商談の中で、二人は半ば意識を飛ばしかけていた。ユルクはどうにかヘーガーの口元に注目することで――伸ばした上で弓なりにカールするよう整えられた髭がよく動くのを見ることで、どうにか眠らずに済んでいたが。ヨハンの方は椅子からずり落ちそうになっていた。
「さて――と。商談にも一区切りがついたところで、そろそろ本題に入りましょうぞ」
「ええ。ユルク、こっちへ」
「……え、あ、ああ」
 ヘーガーの言葉を半ば聞き流していたユルクは、ミックの言葉に一拍遅れて反応した。ミックが指し示したのは彼の隣にあるひとりがけのソファで、ユルクは「失礼します」と一言断ってから、そこへと腰を下ろした。
「……ふむ」
 ヘーガーは自分の髭を触りながら、ユルクをじっと見つめた。その目はバルボがユルクを見た、品定めするようなものとは似て非なる視線だった。あの視線よりももっと真っ直ぐで、なおかつ鋭く抉るような。
「いや、すまぬな。竜と一戦交えたと聞いていたので、ついその力量を確かめたくなってしまった」
「は、はあ……」
「しかしここでは、力を測るなどどだい無理な話であった。なにせ町中、死線などありはしない場所なのだ。貴公の気も緩もうというもの」
「……す、すみません」
 ユルクは思わず小声で謝る。どうやら呆けていたことにも気づかれていたらしい。ヘーガーは恐縮するユルクを一笑に付し、
「はっは、気になさるな。私もよく教官の話をうたた寝で聞き逃してはどやされていたものよ。さて、余談はここまでにしよう。貴公、竜に剣を向けたという話であったな」
「はい。……って言っても、戦いにもなりませんでしたが。竜の力はあまりに強大で、剣を持って斬りかかろうにも、その鉤爪の一本で受け止められ、どころか弾き飛ばされる始末でした。本来ならばその爪に裂かれるか、あるいはあの巨大な手足に潰されるか、竜の吐く炎に焼かれて灰になるはずだったでしょう。
 ……それなのに俺が生き残ったのは、村長がその生命と引き換えに俺を生かすよう、竜と取引したためです」
「取引?」
 ユルクは頷き、思い出すのも忌まわしいその瞬間の出来事を、記憶の底から引きずり出して語った。
「村長は俺の命を助ける代わりに、持っていた黄金の首飾りを渡すと言った。でも、竜は首飾りだけでなく、村長の命も寄越せと言って……村長を、握り潰し……」
「……なるほど。文にして読む以上に、聞くに惨たらしい出来事だ。貴公が生きた村の村長は、なるほど大人物だったのだろう。本来ならば全て潰えるはずだった村の命を、たった一つでも生き延びさせたのだ。それは称賛に値する――が。しかし、一つ不可解なことがある」
「不可解、ですか?」
 うむ、と唸るように言って、ヘーガーは表情を曇らせた。
「竜は取引に応じた。しかし、そのようなものに応じる道理など竜の方には無かったはずだ。宝物を傷ひとつなく譲り受けるためだったとして、貴公の命を取らぬ理由に果たしてなるだろうか」
「……それは……確かに、不可解だとは思います、が。何故見逃されたのか、俺には……」
「もちろん、貴公には預かり知らぬことだ。私とて竜の考えを解するわけではない。だが、一つ思い付いたことがある。取引というものが、もし我々と同じ価値観で行われたのなら――つまりは貴公の村の村長が差し出した黄金の首飾りに、本当に宝としての価値があったのだとしたら? 竜は本当にそれに高い価値を見出したのだとしたら……」
 一瞬、ためらうような空白が生まれた。ユルクはヘーガーの次の言葉によって、その沈黙が躊躇ちゅうちょであったのだと気づいた。
「竜の審美眼というのは確かなものと聞く。大地の中で生まれ、長い時を生きる竜は物の本質を見通し、特に鉱物については我々人間の目より遥かにその真贋を見極めるという。なればこそ、村長が渡した首飾りというのは『本物』だったのであろう。だが……これはやや礼を失する言い方になってしまうのだが。
 ……何故、そのような品が貴公の村に、その村の長たる者の手にあったのであろう、と。私はその点が、とかく不思議に思えてならないのだ」
「あ……」
 言われてみれば、とユルクもその不可思議さを驚きとともに受け入れる。今まで、疑問に思うどころか思い出すことすらしてこなかったが。あの首飾りの存在そのものをユルクは知らなかった。否、デボラ村長が首飾りを身に着けていたのは知っていたが、あの首元に見えていた金の鎖の、服で隠されたその先の部分が黄金と紅玉の飾りになっていることなど知らなかったのだ。そして何より、あの時――

『……見な! 私が身につけている首飾りを。こんな村に相応しくないような、黄金と紅玉の首飾りだよ! これを捧げる、だからどうか……!』

 ――そう、デボラ自身が言っていたのだ。明らかに、村にあること自体がおかしい財宝。村の十年分の麦の売値でも届かないような、竜の眼も認める宝物。それがそこにあったことの奇妙さ。
「うーむ……話がそれてしまうが、気になる話だ。ユルクよ、貴公はその首飾りを見たのだな? であるならば、それを絵にして描き起こしてはくれぬか?」
「へ!? あ、あの、俺、絵なんて生まれてこのかた描いて来たことがないんですがっ……」
「いや、大まかな形が分かればよいのだ。――誰か! 筆記具を持てい!」
 ヘーガーが声を張ると、ドアの外で待機していた執事が応え、ペンと紙をすぐさま持ってきた。ユルクはそれらを受け取ると、思い出せるかぎりに首飾りを描き起こした。その絵は決して上手とは言えないが、図案自体は正確に捉えられていたものだった。
「たぶん……こういう形だったかと。それで、ここと、この部分に紅玉がはめ込まれていた……ように見えました」
 ユルクは、そんな捕捉を添えつつヘーガーに絵を渡した。それを見て、ヘーガーはみるみるうちに顔を険しくしていった。
「ヘーガー将軍? これに見覚えが?」
「うむ……」
 ヘーガーは、おもむろに重い口を動かして言う。
「私のみ間違えでなければこれは、恐らく……かつて王家が所蔵していた品のはずだ」
「……またそのパターンか!」
 ユルクは思わず小声で言った。聞こえないよう声量を抑えたつもりだったが、対面に座っていたヘーガーにはばっちり聞こえていたらしい。「はて、パターンとは……?」と首を傾げるヘーガーに、ユルクはどういったものかと口ごもり、結局ミックが説明をした。
「実は、ですね。かつて王家から遺失したとされていた国宝、王剣バルドゥルスが同村で発見されまして。ええ、というより……彼の所有物でして……」
「な、なんと!」
「ただ! ですねぇ……うちの主人、バルド様がそのー……個人で持つものではないとして、王家に売り――い、いえ、返還してしまいまして」
「なんとっ! あ、あの石頭め……まだ王家に未練があるとは!」
「いやあの、王剣は俺の命を助けたことと引き換えに、」
「貴公は彼奴の性分を知らんからそういう風に言えるのだっ。あの男はな、元は王家に己の命どころか一族郎党の命すら捧げかねんほどの過激派なのだ! 今の王家に失望して在野に下ったものだとばかり思っていたが……くっ、よりにもよって今の王家に王剣を引き渡すとは! どうせ王家の宝を見て改心するとでも思ったのだろうが、全然そんなことないぞ!」
 後半はもはや誰に向けての言葉かも分からない。とにもかくにもいきり立つヘーガーを、ミックが「お、落ち着いてください、ヘーガー将軍」と言いつつどうにかなだめようとする。呼びかけられたヘーガーははっとして、咳払いを一つ。
「……す、すまぬ。バルボとは浅からぬ縁があってな」
「え、ええ、まあ、聞き及んでおります……で、ヘーガー将軍。本題に戻りますが」
「うむ……やはり竜というのは言い伝えや文献の通り、人間一人の力で打ち倒すことは不可能に近いようだ。近年の軍は実戦経験も少ない。対竜ともなると、砲火での応戦で手一杯になりかねぬな」
「なんとも……ならないのですか?」
「ならぬはずがないのだ、本来なら」
 目を伏せて言うヘーガーの表情は、どこか悔しげであった。
「今よりも技術力が無かったはずの、国の勃興期に剣の一振りで竜を討ったと言われているのだ。何かがあるはずなのだ……あるいは、彼奴めはそれしか望みが無いと考えて……」
 ヘーガーの呟きに、ミックは「ありえますね」と同調を示す。そして、更に一言。
「今のところは、剣が切り札になる可能性に賭けるしか無いでしょうね。ただ、王剣を返還された王家が積極的に竜退治に出るとは思えない。……そこで、ですね。こちらの設計図をご覧いただきたいのです」
「……これは!」
 ミックが見せた図案に、ヘーガーが驚嘆する。それは、ヨハンが持たされたというあの、王剣バルドゥルスによく似た剣の設計図だった。

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