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あなたのために、あなたができないことはない。

私は発信活動をはじめてから、コメントをいただくことが増えた。
性格的にあまり強い発言をしないタイプな上に、発信内容には細心の注意を払っているので、SNSで炎上をしたことはないし、コメントも主に好意的なものが多い。

ただ、何の心当たりがなくても、突然批判的なコメントを書かれることもある。私が読んで不快になるのはもちろん、私以外が読んでも不快になってしまうコメントは良くない。すぐに非表示にして、そのアカウントはブロックする。

最初は、ブロックしてしまうことに抵抗があったのだけど、短い人生の中で、やきもきする時間が無駄だし、その原因を作った人は私の人生に必要ないのだと割り切っている。

もちろん、その人の人生にも私は必要ないのだから。もう二度とつながることはないご縁でいい。それもまた運命だ。

ここまではとても明快な話なのだけど、好意的なように見えても、批判したい気持ちが見え隠れしているコメントもある。
(ああ、こういう気持ちで書いたんだろうな)と想像できてしまう。幸い、すぐに忘れるようにしているので具体的には書かないけど、何気ない言い回しの中に配慮が欠けていたり、マウントになっていたり。

伝えたい意味合いをそのまま受け取ってくれることがあったら、それはもう奇跡なのかもしれない。

と、いう私の経験の100倍、1000倍の経験を芸能活動をしている人は浴びているのだろう。

少し前に、某K=POPアイドルが、世界中のアンチから批判コメントを浴びていた。客観的に見て、本人たちに全く非はない。それなのに、Instagram、YouTubeのコメント欄は罵詈雑言で埋め尽くされた。

中には一見好意的なコメントに見せかけたような巧妙なアンチコメントもある。しかも数万単位のコメントは、担当スタッフが見ても病んでしまうんじゃないかと不安になるほどだった。

一斉に号令をかけるように、アンチの矛先が誰かに向かう瞬間を見た。
何が彼らをそうさせたのだろう。なんて考えたくもない。

同じ人間だとは思えない。最低だ。
全く関係のない私が、そんな感情に支配されていたくらいだから、
想像を絶するほどの悪い熱量が動いていたはずだ。

結果的に、所属事務所がコメント欄を閉鎖し、コメントを削除できなくした上で訴訟を起こしていくという発表があった。

例えコメントを物理的に消したとしても、届いた人の中には一生残り続ける。身体は傷ついたら見えるけど、心は見えない。
10年前に比べたら、一気にいろんなことが進化して、問題はややこしくなった。今後もこのギャップに苦しむ人は増え続けるのは目に見えている。

もしできるなら、
いや、できなくても、
自分の心が揺さぶられてしまうものとは、距離を置こう。

こんなにいろんな情報を手に入れられる時代なのだから、
離れても大丈夫。

嫌なことに触れ続けないで、そっと離れてしまおう。

私のために、私ができないことはない。
あなたのために、あなたができないことはない。


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