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節目と始まり。


あなたの夢はなんですか?
なりたかった自分になれていますか?

将来の夢という言葉はいつの頃からか、私の人生を咎める詰問のようになってしまった。


最近、映画「ソウルフルワールド」を鑑賞してきた。ミュージシャンを目指す主人公と、人生そのものに夢が無いソウル(魂)との出会い。二人が冒険を通して人生のきらめき、生きる意味を見つけていく物語。

日々そこにある美しさに目を向けてほしいという人生論が詰まっていたと思う。昨年の「PERFECT DAYS」とテーマは近いと感じた。えらく感動した。

勉強も仕事も恋も〇〇さえできれば!と、わたしたちは大きな物語を夢見て、成し遂げることこそが人生の目標(幸せ)と捉えてしまいがちだ。わたしもそうだった。

終わったあとの日のことも考えず




先日、3年がかりのシステム開発プロジェクトが終結した。自分で志願してこのプロジェクトに参画したのだが途中で大炎上し土日も深夜も関係ない泥試合となり、30代前半全てを注ぎこむハメとなった。

とち狂った客、終わるはずがない納期、撤退していく協力会社。形ばかりの責任者がころころ変わり、どこのプロジェクトですかと言わんばかりの虚偽のスケジュールが報告されていく。

昨日まで隣に座っていた仲間が突然に会社に来なくなるのが日常となっていった。あいつ最寄り駅まで来て体が震えて電車降りられなかったらしいすよ…、という黒い噂はあっという間に広まる。

何事も無かったかのように翌日には代わりの人を探し、参画してもらったら初日からいきなり徹夜させる。一体人を何だと思っているのだろうか…ボロ雑巾か何かか?

真面目な人ほど報われずに神経がすり減っていく。深夜になるといい大人のすすり泣く声が聞こえてくる。もうこんなのむりだ、俺は家族の方が大切なんだ、会社に報告してやる

完全に腐っていた。

毎朝、起きると目が真っ赤に充血していて涙が止まらない。冷凍庫に準備してる氷で瞼を冷やし痙攣を止める。これは疲労なのか。

壊れそうになりながら自宅にタクシーを呼んで会社まで向かう。お金なんてどうでも良かった。

打ち合わせは否定と怒号で埋め尽くされていた。自分が進まないのを誰かのせいにしないととてもじゃないがメンタルが持たない。誰かギブアップして完全にプロジェクトが中断してくれないか本気で祈っていた。

毎日毎日あれが悪い、これができてないと言ってくるプロジェクトマネージャー。こいつは一体なんなんだ?できなくて困ってるのに、なんでやってないのって…無価値どころか害悪。わたしのストレスは最高潮に達し、体中に蕁麻疹ができてしまった。(お嫁に行けないです。)


毎月下旬は部長と漫才
(部長)忙しいとこゴメンね、残業なんだけど100超えは会社的にさ…

(私)はい。でもこういう状況ですし、しょうがないですよね。それで?

(部長)どうにかなんないかな

(私)どうにかって残業調整ですか?休んだらプロジェクト止まりますけど、そういう指示ですか?

(部長)いやそれは止めちゃ行けなくて、なんだろうな、改善?効率化とかさ

(私)…(ゴミを見るような目で睨みつける)

(部長)このままだと不味くて…

(私)勤怠つけるなって言いたいんですか?じゃあ明確にそう指示してくださいよ、指示の記録を残しますんで

(部長)あ、いやあの、…ありがとう。ごめんね呼び止めて

(私)ありがとうございました♪

ストレスを吐き散らした後に、お望み通り勤務時間を修正。



トラブルの火消しには1年を要した。
心身を潰すには十分過ぎる長さだった。

あらゆる人を犠牲にした。会社を辞めた人、抗鬱の薬漬けになってしまった人。人生がめちゃくちゃになったのは1人、2人では済まされない。しかも、それだけのことをして手に入れたものがたった1つのシステムの稼働とは、笑えないにもほどがある。

春が始まる頃にすべてが終わり、生き残った仲間たちとこれまでを讃え合った。あなたたちがいなかったら私もここに立っていることはできなかっただろう。打ち上げは連日連夜、数週間に続いた。

すべてが報われた解放感に浸りながらも、屍を踏みつけた足で立っているような気持ち悪さが残り続けていた。

なんとか生き残った我々のほうがよっぽど頭がおかしいのかもしれない。


悪いのは全部 君だと思ってた
くるっているのは あんたなんだって
つぶやかれても ぼんやりと空を
眺めまわしては 聞こえてないふり

世界の終わり/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT


打ち上げ祭りも終わった4月
ヒマな月曜日

組織も解体され仲間も散り散りとなった。平和でなにもない普通の毎日が訪れる。私がずっと願っていたものだった…

はずだった。


なのに、なんか…


手元に期待していたはずのものが残っていない。気がする。

この3年間は昇格という形になったもののそれ以外が何もない。大きな達成感の余韻も枯れてしまってる。これだけを犠牲にしてわたしは一体何を期待していたんだろう。

わたしは何を手にできると思っていたのか。成功の先に何かあるはずだ、そうに違いない…確信だったものはあっさりとあやふやになり、何の感触もなくなってしまった。


あたりまえの話として
人生には確かに節目はあるが、それを通りすぎたとて終わるわけじゃない。生きるとは、繰り返すこと、続けることである。そんなことすら見えていなかった(見えないフリをしていた)。

スタートとゴールは履き違えないようにしないといけない。節目は終わりであり、始まりなのだから。


話は冒頭に戻るが、そんな折にちょうど「ソウルフルワールド」を観た。立ち止まって考える自分を肯定してくれたような気がした。心が軽くなった。そして深呼吸をして「今の自分」とじっくり向き合きあおうと思えた。

なりたかった自分・・・

はその内で。




仕事が一段落した報告をした大学の友人と平日ランチに行くことになった。仕事してる昼に友人と会うのは初めてだった。(世の女性陣はみんなやってるのかな???)

彼女は、子ども二人を育て、最近一軒家を立てて、なおかつビシッと仕事をしている。

私を労ってくれたのだが、それと同時に羨ましいと言ってきた。何言うてんねん、やんのかお前と思いながらも話を聞くことにした。

どうやら家庭との両立に悩んでいるようだった。お客さんと関係が築けてきたものの、土日も仕事になってしまうほどトラブル対応が続いてて、今しかない子どもの成長をちゃんと見届けられないのが辛いと言っていた。

仕事と子ども、全く次元の違うものを天秤にかけなければならないその痛みは想像できたものじゃない。責任感ある彼女にとっては辛いものだ。

それでもここまでやってきたことをお客さんから高く評価されたよ!とうれしい顔で報告しに来てくれた。自惚れかもしれないけどねってハニカミながら。

最高に可愛いかった。
私からは一言だけ、


自惚れじゃなくてそれは自負だよ。
大切にしていい。


彼女に向けたものだったが、これは自分への言葉でもあった。

節目を迎え、私が手にできたものはこれだったんだとふと思った。少ないかもしれないけど、まあ良しとする。



おしまい



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