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「ナイツ塙“言い訳”。M−1から解く、評価軸と評価のされ方 面接で必要なのは努力したことではない」もっと幸せにはたらきてぇなぁ仕事論

評価に納得がいかない時、それは評価のされ方の理解が異なるのかもしれない。

ナイツ 塙氏の書籍を読んでいて思ったり。


基本的にはもともとの記事を深ぼったはなしだったんだけれども、すげーー昔に、どこかのだれかのMー1の考察で「これは面白さで測っているんじゃない、漫才としての採点されてるんだ」「だから世間でいう面白さとズレがでる」というような内容の記事を思い出した!

こちらも Mー1 とはしゃべくり漫才の面白さを決めるのであり、そうじゃないコンビ、ネタへは評価がうんぬんという風に書かれている。

そう。M−1は MANZAIのMなのである。

最初の頃の なんでだろうネタのコンビが立川談志に「それは漫才じゃねぇ」と言われているのをたまたま、リアルタイムで放送をみていて、それの印象が強すぎて、審査員がコンビをボロクソにいう番組だと思い、「M−1はめっちゃ怖いな」という感じで思っていました。


そもそも、もし純粋に面白さを追求するとしたら、特段、漫才師の漫才を見る必要はない。というか漫才にこだわる必要はない。

これは別に漫才を否定しているわけではなく、甲子園は野球で勝負を決める、のと同じだ。野球の得点の取り方で、得点が入り、評価される。
学校のグラウンドにサッカーゴールが置いてあったとしても、野球をしている時に、ボールをいれても、得点にはならない。

ボクシングの試合で、蹴り技でノックアウトしても、勝利にはならない。

当たり前やん!! と思われるかもしれないが、案外、どう評価されるのか!? というのは、自分でわかっていない場合が多い。

もし、周囲からの評価のされ方が自分の思っているものと違う場合、そもそもの評価軸が違っているのかもしれない

仕事は成果がすべて! とはよくいうけれども、案外、プロセスが大事だったりする。
いや、もちろんぐうの音も出ないほどの成果が出された場合は、プロセスもすべて平伏すような状態はもちろん起こる。
けれども、現実において大概の場合は、あまりそこまで差がない。ので、他者からの評価は、そのプロセスだったり、諸々に左右されてしまう。

あと、大概、自己評価というのは、他者評価とわかれる。自己評価というのは正確にすることが難しい。

なんかの言葉で、
格下と思って同格、同等と思って格上、格上と思って雲の上、

みたいな格言みたいな、芸事のいい感じのなかったでしたっけ? 検索してもでてこない!!

ただ、そもそもこの本書を読んでいて、他者と自己で評価の軸や視点そのものが違うんでないかな? ということがおうおうにあるんではないかとおもったわけです。

で、思い出したのが転職の面接のアドバイスで

「自分がいままで苦労したこと、やってきたこと、成果を出したことをつたようとすることがあるが、面接で伝えるべきはそうではない。
 自分が持っている能力がその会社にどう貢献できるか、ということだ。いままでの苦労は正直関係ない」

ということ。

まぁ新卒の100%ポテンシャル面接なら別かもしれないが、中途の面接・採用の際に重要なのは、その人がもっている能力が会社にとってどうか、ということ。

ただし、人間。もっとも苦労してやってきたことが、もっとも自分の能力を表していると思ってしまう。

ただし、会社にとってその能力が必要かどうかは別。

なので、評価されるように伝えないと、その会社から自分を正当に評価されない。

めっちゃ喉渇いていて、めっちゃ冷たい水飲みたいのに、「すごい時間を時間をかけて淹れました!」とめっちゃ熱いコーヒーを出されても、困るじゃん。

そこで、うーん、冷たくないし、ダメです。といわれて、
「いや、めっちゃ旨いのに!!!!」とかなっちゃう。

まぁそもそも自分も他者も完全ではないので、そもそも齟齬がうまれるのは当然。そこをとやかくいっても仕方ないけれども、だからこそ、きちんとまっとうに評価されるためには、どう評価されるのか、って理解する努力が必要なんではないかなーと思う。

ちなみに全然かんけいないけど、準優勝したオードリーがいきなり黄金伝説でサイゼリア全品食べ尽くす! ってのがめっちゃ好きでした。

あーーー なにもしなくてもLV99とかにならないかーーー!! ではまた!!




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