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桜短し愛せば空は、きっと明日も晴れていて

朝5時のベランダは、どんな天気のときも澄んでいて。目を閉じればいつだって鳥の鳴き声が聞こえる。その清々しさにいつも耳を澄ませているけれど、その鳥の名をわたしは知らない。

どこまでも続く桜を眺めていると、いつの間にか切なくなって泣いてしまう。ああ綺麗だ、と思えるのは一瞬で、かなしくなる瞬間も突然で。きらいなわけじゃない、なんならとても好きだ。好きなのにかなしくなるなんて、とだれかが言う。

ある日、桜は下を向いて咲くから花見向きなのだと教えてもらった。見上げた時に、目が合うからと。

桜は下を向いて、私たちに春をくれる。おひさまは上なのに、わざわざ下を向いて。冬を乗り越えてえらいねという最高の肯定を、我が身を持って与えてくれる姿が、あまりにも儚い。

たとえばずっと笑っているだとか、いつも明るく振る舞うだとか。そのためにはたくさんの辛いことや苦しいことを乗り越えなくてはいけないということを、知っているつもりだから。

それでもあなたは光に背を向けて、こっちを向いて咲いてくれるのでしょう。

そんなことを問いかけながら、今年も満開の桜を見上げて涙を浮かべてしまう。わたしは桜が好きだ、泣きたくなるほどに、本当に。

今日、散りゆく桜の木の上で鳴いていた鳥の名も、わたしは知らない。知らなくていいからどうか、短い命を見届けてと鳴いている。淡いピンクが降り注ぐ日にはきっと、いつも以上に物語がはじまって、そしてそのぶん別れもあるかもしれない。わたしがせつなく感じても、彼らはいつまでも潔く。また会えるかは、分からないけれど。来年はもっと素敵なわたしで来るからと、淡い残像をありったけ抱きしめた。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。