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あの日広島は、雲ひとつない青空だった。

「お手玉の中のね、小豆をこっそり煮込んでおしるこにして食べたのよ」

お手玉を教えてくれたおばあさんは涙ぐみながらそう言った。私の通っていた小学校にはデイサービスが併設されていて、頻繁に交流の機会があった。戦争を経験した人たちもいて、その話をよく聞いた。お手玉が大好きだった私はあるおばあさんと仲良くなった。

「お手玉の中身知ってる?小豆が入ってるの」
「食べれるの?」
「そうよ、非常食でもあったわ」

そして冒頭の言葉をおばあさんは口にした。いろんな非常食のこと、それを食べてなんとか頑張ったこと、戦争がどんなだったか。幼い私なりに一生懸命聞いた。何を聞いたかはもう殆ど覚えていない。でもあの光景だけはずっと脳裏に焼き付いている。

1945年8月6日、リトルボーイと呼ばれた爆弾がその空の青さを奪った。その日雲がなかったのは、青空を見て原爆を思い出さないためだといい。雲ひとつない空が広がる日は少なくて、あの日を思い出す回数も多くなくていい。これは単なる私の妄想である、でもそんなことしか願えない。戦争を思うたびに、自分の無力さに悲しくなる。

戦争で亡くなった親戚の話を、祖父からよく聞かされた。戦争の時どんな生活をしていたかということも。そして、原爆が落ちた日と終戦記念日に黙祷をする習慣をつけてくれた祖父と祖母に私は感謝している。幼い時から私に「戦争」と向き合う時間をくれた。

「原爆って知ってる?」
「広島に落ちた爆弾だよね、授業でやったよ」
「戦争経験した人の話はきいたことある?」
「ないの。おばあちゃんもおじいちゃんも、戦争の後に生まれたって」

学校で、小学生のお世話をするアルバイトをしていた時のこと。私は夏になると小さい子どもには戦争の話をすると決めている。今の小学生たちは、私たち以上に戦争を知らない。知れる状況にいないのだ。そんな会話をして、時の流れを感じてしまった。
幼い私も戦争が怖い、としか分からなかった。戦争はもうしてはいけない、と教科書で習って、写真を見て。怖い、いけないと言われて受容していた。きっと彼らもそうなのだ。彼らは悪くない、ただ「これでいいのかな?」と思ってしまうのも事実である。

「戦争が終わったことの安心なんかなかった。終わったと言われても終わった気なんかしなかった。終わってよかったと思うわ、でもその当時はそんなこと思えなかった」

その言葉の意味を、幼い私はわからなかった。だってあの日々の戦争は正義だったのだ。だから起こって、続いてしまった。戦争の終わりとはそもそも何なのか、それすら知らなかったのだ。
戦争を経験した人がどんどん年を取っていくという現実に、私たちは抗えない。戦争が起こるなんて想像もつかない日本になってしまって、それはものすごく幸せなことだと思う。きっと過去の理想に近づいているに違いない。

ただ、戦争によって失われたものを私たちは忘れてはいけない。それでも昔の人たちが望むのはきっと、「戦争」なにそれ。そんな世界だと思うのだ。忘れてしまうのではなくて、戦争がない当たり前が欲しいだけだ。戦争というワードが思い出されるのが原爆投下の2日間と、終戦記念日だけであったとしても、あの日々から学ばなければいけないことを決して忘れてはいけない。この日を境に、昔何があったのか、今は何が起こっているのか。それを知らないといけないし、知る機会を減らさないために、日々の生活で「戦争」というワードを忘れても、その日々から学んだことを『忘れてはいけない』のだ。

あの日、おばあさんは私に言った。

「お手玉は、ちゃんと小豆が入ったものをを使って。そしていつかあなたが大人になった時に、子どもに教えてあげなさい。そこから作るおしるこもいっしょに。それは、日本が戦争を忘れないことに繋がると思うわ」

いつか私に子どもができて、黙祷をする私に子どもが「戦争ってなに?」という日が来るかもしれない。そうしたらおばあさんを思いながらおしるこを作って教えたいことがある。
お手玉をまわす度におばあさんの顔が浮かぶ。そして私はその度に、今あるおしるこは甘すぎる、と思ってしまう。だっておばあさんがお手玉をひらいて作ったおしるこは、甘くなかったと思うのだ。砂糖なんかなくて、涙でもっとしょっぱくて、でもそれを私たちは伝えていかないといけないんだ。

#エッセイ #夏 #広島 #戦争 #summer #日記

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。