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雨の日の五・七・五。夢中になれるものなんて、きっと

雨の日はすこし苦手だ。それでも、すこし高いところに行くと落ち着く。だから重い腰を上げてすべらないように、階段と坂をのぼって、すこしずつ上へ行く。重い空の下、それでも全力でわらった日々がある。

「プリキュアです!」
将来の夢は、と聞かれたホームルーム。小学校6年生で同じクラスだった友人は元気よく答えて、たちまち人気者となった。

別の友人は、いつも部活のジャージを着ていて、小柄で髪の毛をツンツンさせていた。いつもヘラヘラとわらい、運動神経抜群の彼のまわりにはいつも賑やかだった。

彼らの共通点といえば、わらわずとも目が垂れていて、いつもやさしい表情をしていることだった。だから久しぶりに高校で再会したとき、「変わらないね」と思わずわらってしまった。

小学生のころ、俳句を詠むのが習慣だった。毎月の俳句新聞に自分の名前が載ることは、幼いながらに嬉しかったことを覚えている。

そしてわたしたちはいつだって走っていたと思う。薄暗い雨の日も、廊下を走り回って「うるさい!」と同級生に怒られた。下を向いて反省したふりをしていたけれど、お互いにちらちら横をみながらこっそりわらっていた。

だいぶ、離れ離れになってしまった。だけど高校を卒業して何年も経った今でも、未だに連絡をとってははなしたり、会ったりする仲だ。

友人の当時の恋人に嫌味を言われて、変えてしまった呼び名も。当時の彼女への告白エピソードがあまりにもかわいらしくて、何度もいじってしまった日のことも。こんなことはわたしの手をはなれて、知らない誰かに伝えたってなんにもならない、ただの出来事にすぎないのは分かっている。

男女の友情なんて成立しない、とだれかが言った。それでも。性別を自覚するよりずっと前に、わたしたちは、あのちいさな世界をかけまわり、全力で生きていた。

彼らはいつも、自分のはなしをする。わたしが、聞いてと話し出すまでずっと、自分のはなしをしてくれる。そして話しはじめると、やっとか、とすこし呆れわらいをしながらやさしくうなずいてくれる。その受容が、わたしはたまらなく好きだ。

大好きだった校庭で、毎日のようにのぼったのぼり棒。あの不安定な頂上に座っては、おおきな運動場を見渡した。高いところが、大好きだった。多分、夢中になれるものなんて、昔からきっと変わっていない。すこし高くて、たまに誰かに怒られてしまうような意地悪なスパイスがあって、ちょっと変わったもの。

彼らと分かち合った時間のあとにはいつも、五・七のリズムが飛んでいく。きっと彼らは振り向いたうしろにも、はるか前にもいない。きっとずっと、すこしずつ追い越し追い越されながら、いつまでも隣をあるいてくれる。五・七のリズムが聞こえたから、また雨の日に廊下をかけぬける、なんてちょっと悪いことをして、思いっきり転んでみたくなった。

気づけばひとりは2つ目の大学に通っているし、ひとりはバックパッカーなんかしているし、ふたりとも年下の恋人をつかまえて最高にしあわせそうだし、わたしは相変わらずそれを文章なんかにして、永遠にしようとしているし。

リズムにのってステップを踏めば、そこにある。

あの空の
あの光さす
あの青の
端からのぞけば
青春がゆく


夢中になれるものなんて、きっと。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。