見出し画像

痛快な中に残る僅かな苦味『坊っちゃん』

夏目漱石ってこんなにもユーモアのある人だったとは!『坊っちゃん』とっても面白かったです。一級の悪口にニヤニヤしていたら、最後はちょっと哀愁を感じ、若い頃を懐かしく思い出す一冊でした。

教師の職が決まり、東京から田舎へ引っ越す主人公の坊っちゃん。
いかにも都会人な彼の放つ田舎を見下す悪口には身に覚えがあります。他人を皮肉る極上の悪口にもニヤリと笑わされっぱなしです。夏目漱石ってこういう意地の悪い笑いも巧みに操れるセンスの良い人だったのかと惚れ惚れしました。

不正を匂わす教頭”赤シャツ”に対し、自分流の正義を通そうとする主人公の若さには懐かしさを感じました。坊っちゃんより歳をとった今でも、彼のような正義感に共感します。

でも若い直情型の怒りには、世の中を上手く立ち回る悪知恵が欠けています。それこそが坊っちゃんの魅力なのですが、一直線の正義では集団の中で上手に立ち回る小さな権力にも勝てません。体当たりで不正に挑む坊っちゃんですが、挑むときに賭けられるものが自分の身ひとつ、というのが若い正義感の不利と集団の不条理を如実に表しているなと、懐かしくも苦い味わいがありました。昔も今も、正義を通すことは簡単ではありません。

それでも坊っちゃんには失うものがないという強みと、自分という存在を全肯定してくれる清という存在がいます。この清の存在がこの小説の救いでした。どこにいても何をしても、清のように自分を全肯定してくれる人がいる。どれほど心強いものだったでしょう。

赤シャツとの戦いに、坊っちゃんは負けたのだと私は思います。一矢報いたかもしれませんが、けれど坊っちゃんがいなくなれば、赤シャツも野だもきっと変わらず、ずっとこのままでしょう。きっと小さな権力を振りかざして上手く立ち回る人も、それに追従する人も、わかっていながら見てみるふりする人も、みんなそのまま。

だから坊っちゃんの戦いでは何も変わらなかった。戦いに負けた坊っちゃんは、けれど人生には勝ったのだと思います。自分のやり方を通し、自分の生き方に対して恥じない生き方ができた上、清の心根の美しさにも気づくことができた。一人の人間が集団に対抗しても、勝つことはできない。けれど一人の人間が集団に対抗して勝ち得る最上のものを、坊っちゃんは手に入れたのだと思います。

ユーモアの冴えた痛快で軽快な読みやすい小説ですが、決してただの夢みがちな御伽噺で終わらせない、社会の苦い味わいを後味に残してくれる、良い小説でした。



学生の頃、アルバイト先の先輩がクビになったことがありました。パートの契約を更新してもらえなかったのです。

その先輩はとても仕事のできる自立してテキパキとした方でした。どうすれば効率良く動けるかを実践し、何か質問をすれば「どうしてこうするべきか」という理由を私にもキチンと説明してくれる人でした。率先して仕事に取り組むけれど、自分がやりたいからテキパキと取り組むだけで、決して他人にまでテキパキ取り組むように押し付ける人ではなかったところが好きでした。

だから先輩がクビになった時、驚きました。こんなによく働く人を、どうしてクビにするんだろう。よくよく風の噂に耳をすませてみると、社員の男性と意見が合わず揉めることがあったそうです。先輩はパートの女性です。社員の男性よりも年上で経験も豊富でした。そして自分の意見をしっかりと述べる人でした。

それでも、本人には理由の説明もなく契約を更新しないなんて。一緒に働いているパートの人たちに、同意を求めて抗議して、また驚きました。これまでみんなで一緒に働いていたのに、誰も彼女がクビになることに意見がないのです。「やっぱりここには合わなかったんだよ」「彼女ずっと工場で働いてきたし、工場の仕事の方が向いてたんじゃないかな?」「彼女にとってもこれでよかったのかも」なんて言うのです。

先輩は何十年も工場で働いてきて、そろそろ身体がキツくなってきたから仕事を変えたいと、友人のツテでこの仕事にパートで入ったところでした。その事情はみんなが知っているのに。年齢や条件もあって、工場以外の仕事が見つからず、ここでなんとかパートの仕事で入ったのに。

ここをクビになれば、先輩はまた身体にキツい工場の仕事に戻ることになるでしょう。でも誰も引き留めませんでした。

自分を安全な立場に置きながら、「あの人にとってもこれでよかったんだよ」なんて一見温かそうな言葉で誤魔化して見て見ぬふりできる大人にはなりたくない、と強く思ったことを覚えています。

その後、ひとりで社員の人に抗議しに行きました。店長にも抗議しに行きました。けれど何も変わりませんでした。きっと私の抗議など、『坊っちゃん』のように言葉足らずで知恵も足らないものだったのでしょう。



あれから何年も経ちました。今でも、私は同じように自分の思う正義を振りかざして抗議をすることができるでしょうか。

一緒に働いていたパートの人たちには養うべき子供もあり、生活もありました。そこでの収入が生活に直結していたのだと思います。
私は学生で、そこでの仕事はいくつも掛け持ちしていたアルバイトのひとつだったから、抗議して居づらくなっても、また別のアルバイトを見つければ良いだけでした。失うものは何もありませんでした。

守るものができたり、失いたくないものができたり、しがみつかなければ生きていけないような日が来ても、全てをパッと捨てて自分の思う正義に身を賭すことが果たしてできるでしょうか。

そんなことを考える日に、また『坊っちゃん』を手に取りたいです。

いつでも側にいてくれて、忘れていた記憶を引き出してくれるのも、小説の素晴らしいところだなと思います。



この記事が参加している募集

読書感想文

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?