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『日の名残り』人生とは取り返しのつかない時間の重なり

カズオ・イシグロ著『日の名残り』は、長年豪邸に仕えた執事が短い旅に出る中で過去の思い出を振り返る一人称小説です。
あらすじを読んだ時は正直あまり惹かれませんでした。ところが読み始めてみると、これがもう読むのを止められないくらい面白い。小説の主題や時代背景に興味がなくとも、書き手が素晴らしければこんなに面白い小説になるものなのかと圧倒されました。


同じく一人称の独白で書かれた『わたしを離さないで』でも、一人称ゆえの情報と客観性の欠如がこれほど小説を豊かにするものなのかと、筆者の筆力に大変驚かされたのですが、『日の名残り』でもその実力は遺憾無く発揮されています。
一人称で語るという表現の新たな深みを見せつけられた、そんな小説でした。


主人公の独白だけで語られる物語なのですが、読み手を主人公の目線に没入させようとする書き口ではなくて、あえて主人公の語る言葉には客観性がないということをチラチラ仄めかす、その容量がなんとも良い塩梅です。


主人公のスティーブンスは確かに仕事ができるし執事としては申し分のない人間です。ただし非常に頑なでやや高慢、自信家なところも目につきます。同僚の女中頭ミス・ケントンとのやりとりには、おいおいおい、とツッコミを入れたくなります。しかしミス・ケントンの描写もこれはスティーブンスが見た、彼の語りたいミス・ケントンの様子でしかないのです。


そう感じさせられる書き口だからこそ、ツッコミを入れたくなる度に自分のことを振り返らされるようで、ちょっと恥ずかしくなります。だって誰でも自分の人生を振り返る時は一人称で振り返るのです。皆、自分の見たいものを見て、自分の解釈したいように考えるだけ。スティーブンスの高慢さを滑稽に感じる時、私を見つめる他者の視線を感じます。その瞬間、スティーブンスの滑稽さは人間誰もが持つ普遍的な愚かさに昇華され、その愚かさ故に人間を愛おしく感じます。
そして取り返しのつかない時間の積み重ねに、哀愁を覚えるのです。


『日の名残り』 カズオ・イシグロ著

あらすじ
長年ダーリントン・ホールで執事を務めるスティーブンスは新しい雇い主でアメリカ人のファラディ様からすすめられ短い旅へ出る。
道中思い出すのは、今は亡きダーリントン卿のこと、さまざまな外交会議が繰り広げられた館での気概に満ちた日々、そして共に働いた女中頭のミス・ケントンのこと。
品格ある執事であることを追い求めたその人生を振り返るとき、彼はなにを思うのか。



スティーブンスは常に品格ある執事たろうとしてきました。
過去を振り返る中で繰り返し、品格とは何か自問自答します。

果たして品格とはなんなのでしょうか。

彼の言うように品格とは”公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないこと”だとすれば、最後スティーブンスは公衆の面前で裸になったと言えるでしょう。それは本人にとっては品格に欠く姿だったかも知れません。

しかし自分の生き方の選択には間違いもあったかも知れないと自分に認めたとき、振り返り続けた過去から立ち上がるスティーブンス。彼の人生にも、誰の人生にも、間違いはあります。後悔することもあります。しかし懸命に生きたことは確かです。他に一体どうすることができたでしょう。

初めて公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てたスティーブンスは、過去を振り返るのをやめ、未来のことを考えはじめます。敬愛したダーリントン卿とは毛色の違うアメリカ人の雇い主ファラディ様へどう仕えようか。
生真面目なスティーブンスが滑稽でもありながら、同時にどうしようもなく感動してしまいます。

これまでの人生の素晴らしい瞬間と全ての後悔を背負う老いた後ろ姿には、そこはかとなく込み上げてくる確かな希望があるのでした。

過去の出来事は変えることができません。人生とは取り返しのつかない時間の積み重ねです。しかし自分次第で過去の解釈は変えることができます。過去の時間から学び取ったなにかは、きっと明日を新しい1日にしてくれるでことでしょう。

本当に良い本でした。



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