見出し画像

家庭の異文化比較:オノマトペが通じない

以下、会話はフランス語

パートナー「どうそのセーター?」

私「悪くない、けどちょっとチクチクするわ」

パートナー「え?CHIKU CHIKUってなに?」

私「あ〜!オノマトペだよ。肌に刺す感じの生地とか、かきむしりたくなる生地って、"チクチク"って感じしない?」

パートナー「いや、全然!」

そうなのです、フランス人のパートナーとはオノマトペが通じないのです。
一方、日本人の中でも特にオノマトペを多用すると言われている関西人の私。オノマトペが使えないのは不便なもの。

お家で「あれどこいった?ピコピコ!」と言ったらリモコンを探してるんだなと分かり、「あの人ギラギラしてて苦手」って言うだけでどんな人かイメージが共有できる。この便利さ、色彩の豊かさ。


一方フランス語日常会話ではあんまりオノマトペを使いません。今思いつくものだと、

Bla-bla-bla ほにゃららとか、ペチャクチャとか喋ってる音。

Bling bling キラキラしてるもの。でもこれは英語から借用された言葉かな?

Bof 別にとか、まあまあとか、興味関心のないとき、乗り気じゃないときによく言う。

Clac/crac カチッとか、関節をグネってコキッとか。
Clic clac 折り畳みソファベッドを組み立てる音から転じて折り畳みソファベッドそのものをclic clacと呼ぶ。

などなど。会話で使われるオノマトペはあまり思い付きませんでした。


日本の漫画のフランス語版を読んでいると、オノマトペがフランス語に訳されている時もあれば、日本語の効果音をそのままローマ字に変えているもの、そして訳さず日本語のまま残されていることもあります。漫画にはオノマトペが多く、全てはフランス語に訳せないか、全て訳すとうるさくなりすぎるから訳さなくても話の通じるものは訳されないのかも知れません。むしろ日本語のまま文字によるデザインとして生かされているのかも。
フランス語に訳されているオノマトペは日本人からすると意外な響きのものもあって、同じ漫画でもそれだけで雰囲気が変わり比べると面白いです。


しかしなぜオノマトペは言語を越えて通じないのでしょうか?

オノマトペは、物事の状態を表す擬態語(ふっくら、すべすべなど)、音を言葉で表した擬音語(ガチャン、ドカンなど)、人や動物の発する声を表した擬声語(ワンワン、ブーブー)の3つの種類に分けられる。形容詞としてだけでなく、時には名詞や動詞としても使われることがある。

https://dime.jp/genre/1047619/


オノマトペは音や状態や声を模したもの。であればたとえ話す言語が変わってもオノマトペは言語を越えて通じてもいいのでは?
と、考えていると、
音自体に意味があるか、被験者の母国語によらず特定の音が特定のイメージを与えるか、と言う興味深い実験について簡単に説明してくれているYouTubeがありました。



タケテ・マルマ実験が面白い。
カクカクした図形とクネクネした図形を見せてどっちがタケテでどっちがマルマか選択させると、多くの人がカクカクしたのがタケテ、クネクネしたのがマルマと選ぶのだとか。

キキ・ブーバ実験も似た実験で、被験者の母国語によらずキキが直線的な図形、ブーバが曲線的な図形だと感じるそうです。この実験はさらに脳の働きとの関係を調べていて、脳の角回という部分に損傷のある人の選択には同様の傾向が表れないため、角回に音と形を結びつける働きがあるのではと考えられています。

このような音が想起させるイメージについての研究を音象徴学と呼ぶのだとか。

他にも動画の中では
o,u,aは大きく感じて
e,iは小さく感じると言う事例も紹介されています。

音に形や大きさを想起させる作用があるということは、オノマトペにも探せば言語によらず通じるものがあり、その中に新たな規則性が発見できるかも知れません。形や大きさだけでなく、音は色、香り、味、触覚とも関係しているかも知れません。研究してみたら面白そうです。



試みに動物の鳴き方のオノマトペは通じるか、パートナー相手に試してみました。

左が日本語、右がフランス語です。

犬 : ワンワン  wouaf wouaf (ワッフワッフ)
猫 : ニャーニャー miaou miaou (ミャウミャウ)
鶏 : コケコッコー cocorico (ココリコ)
豚 : ブヒブヒ groin groin (ゴワンゴワン)
馬 : ヒヒーン hiiiiiiii(ヒィィィィ)
蛙 : ケロケロ coax coax (コワコワ)

日本語とフランス語でかなり違いますが、それでもそれぞれ鳴き真似をしてみるとブヒブヒ以外はどの動物か見事に当ててくれました。オノマトペの中でも擬声語は比較的通じ易いようです。


一方擬態語は、これまでにも色々試してみたのですが、全くと言っていいほど通じたことがありません。概念的なもの(モヤモヤするとかハラハラするとか)は音が聞こえないのだから知っていないと理解するのは難しい。
音の似たオノマトペ間の差異(シトシトとジトジトとか)も習ったことがなければ分からないでしょう。
肌に当たる感覚のチクチクとか、辛いものを食べた時の舌がピリピリとか、実際には音がする訳ではないのに私の中ではそれ以外に表現できないと思えるぐらいぴったり馴染んだオノマトペ。ところが言語が変わると通じないと言うのが面白い。よくよく考えてみると、日本で育った人の間ではこの超感覚的な表現が難なく共通認識を得ていると言うことがすごいことなのかも知れません。

改めて言語を学ぶと言うことは、ただ文法や単語を覚えるだけではなくて、その言語が内包している文化を知ることなのだなと思いました。

私たちがニコニコと言われて笑っていると感じられるのは、そのように学んで来たから。学ぶことで特定の集団における特定の共通認識を理解することができる。それは便利だし集団生活を円滑にするものだけど、別に笑っているときにニコニコと音が鳴っている訳じゃない。そう習ったからそう聞こえるだけだと考えると、学ぶことはひとつの感じ方を強いることでもある。

他の言語ならその言語にピッタリの別のオノマトペがあるのでしょう。それに自分でピッタリくる表現を探してもいい。ポクラパクラ笑ったりキキルキキル笑ってもいい。

何かを学ぶことで、それ以外の可能性を想像することを忘れてしまわないようにしたいなと思いました。外国語を勉強したり、異国に住んだり、異なる文化で育った人と交流することは、思いがけない場面で自分の常識以外のものを見せてくれるのが楽しいなと思います。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,438件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?