見出し画像

一番好きな小説を選ぶなら、谷崎潤一郎の『細雪』

初めて読んだのは10年以上前でしょうか。とてもとても大好きな本なのですが、文庫で三冊と大長編、今まで一から読み返すということがありませんでした。ところが久しぶりにページをめくってみると、一行目からもう関西弁のリズムが心地よく耳に懐かしく響きます。気がつくと最後まで一気に読めてしまっていました。

第二次世界大戦前という時局の割には劇的なことが起こるわけではなく、ただただ日常の細々した出来事や風土、そして蒔岡家の姉妹の心情が微に入り細に入り克明に描写されているだけ。ところが文豪の手にかかるとちょっとした所作にもその人となりが浮かび上がり、優雅であり時に滑稽でもある上流階級の姉妹に非常な愛着が湧いてきます。


『細雪』 谷崎潤一郎
大阪船場の旧家・蒔岡家の四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子。一家急務の心配事は30歳を過ぎても嫁ぎ先の見つからない三女の雪子の行く末と、新聞騒ぎを起こしたことのある四女の妙子の奔放な振る舞いだ。兎にも角にもまずは三女を結婚させなければ世間様に向ける顔はなし。幸子と貞之助夫婦に連れられて、今日も雪子は見合いへ行く。


画像1


『細雪』は全編を通して関西の言葉で書かれています。関西出身だからこその愉しみでしょうか、昔の土地の言葉遣いは美しくリズミカルで、それだけでも他人事とは思えない情が湧いてきます。しかも舞台はまさに自分の生まれ育った阪神間。地名やレストランにも聞き覚えがあり、とても身近に感じます。まるで自分のために書かれた小説のように思えてきます。なんと贅沢な悦びでしょう。

蒔岡家の姉妹はとにかく阪神間のことが大好きで繰り返し絶賛するのですが、東京のことは結構コテンパンに書かれていたり、特に奈良ホテルをこき下ろしているところなんかは微笑ましくもあります。でももしかして東京や奈良の人が読むと憤慨されるかもしれません。


この小説の素晴らしいところは人間と日常、そして風土の巧みな描写とその豊かさ。

ちょっとページをめくって抜き取ってみても、”炭酸水を喫するような心持ちであたりの空気を胸一杯吸った”とか”四辺を領する静寂”とか”天成の呑気屋さん”とか、こねくり回した表現ではないのに新鮮で、それでいていかにもピッタリとくる言葉遣い。やっぱり谷崎潤一郎は天才だなあとしみじみ感じ入ります。


なんと言うことのない日常の描写が続く中、例えば三等車に乗ったら目にゴミが入ってしまったとか、蜂が家に入ってきてみんなで駆け回ってワイワイしたり、ラジオを聞くためにお風呂のドアを開けっぱなしで湯船に浸かったり、一見本筋にはあまり関係なさそうな小話が物語を一層ふくよかにし、所作にも登場人物たちの人柄が浮かび上がり、次第に姉妹それぞれへ愛着が湧いていきます。

特に三女の雪子ちゃんと四女のこいさんの性格や人生の対比は物語に陰影をつけ、細々した出来事にも目が離せません。

一見すると雪子ちゃんは美人で人見知りで害のなさそうな人に見えて、案外強情っぱりだし見栄も張る。感謝もせずみんなの働きを当然のように受け取る態度など、ただの人畜無害な箱入り娘ではなく、言葉数は少ない中にも彼女なりの性格がよく滲み出ているところに一筆書きではない生きた人間味が浮かびます。奔放で自由人に見える妙子だけど、肝心なところで感情を見せなかったり、実は夜寝れなくなる繊細さがあったり。本当に、谷崎潤一郎の書き出す人々は誰もがとてもリアル。幸子姉さんのモデルは谷崎の妻、松子さんだそうです。実際の出来事に構想を得たこともあるでしょう、まるで目の前にいる人物の所作を逐一書き取っているかのように詳細で生き生きとしています。でも私たちは実際目の前で起きていることですらこんなに細かくは見ていない気がします。

『細雪』に没頭していると、ぼーーーっとしながら過ごしている毎日の現実の自分の生活よりも小説の世界の方がよっぽど生々しく豊かに感じられる瞬間があって、ヒヤリとします。


豪華な絵巻物のように美しい世界でもあるのですが、当時の倫理観にはギョッとすることも結構多く、特に身分階級の差はかなりはっきりしているし、男尊女卑は当たり前、見合い制度は本人の意思より本家の意思が大事、そして何より世間体が一番大切。この数十年で日本の価値観もかなり前進したのだなあ、この時代に女性として生まれなくて正直ホッとするなあとも思うのですが、しかし得るものがあると当然失うものもあるもの。

この小説の中で特別好きな一幕が、調子がすぐれない幸子姉さんがお家で休んでいる場面。なんだか気分が悪いなあと思っていると、娘の悦子ちゃんがやってきて花瓶に生けてあるその花が気持ち悪いと言う。確かにこの花を見ているとなんだか気分が重くなるなと言って花を変えさせるのだけれど、それでもやっぱりしっくりこない。それならいっそ花はやめて清涼感のある掛け軸をかけさせる、という場面。『細雪』に出てくるこういう上流階級的余裕と美意識が堪らなく好きなんです。気分が悪くなってお家で休んでいても、私ならせいぜい窓を開けて空気を入れ替えるくらいのもの。あとはベッドでゴロゴロしながらネットフリックスでも見るのがオチ。ところがここのお宅では掛け軸をかけさせるのです。そして幸子姉さんは掛け軸を見るとちょっと気持ちが軽くなるのです。こういう風流を愛でる心の余裕。繊細な情緒。すごく好きです。自分の心まで豊かになった気分になります。

それから何をするのにも悠長なところが大好きです。当時すでに電話はあるのですが、大切な用事は手紙でやり取りします。書き方に覚えのある幸子姉さんは下書きせずに書きますが、それでも一通書くのに三、四時間かかったり一日仕事です。東京に引っ越した長女の鶴子姉さんは筆無精で、ついつい返事を書くのに書き直したりで一週間くらい経つこともあります。お見合いに関する大事なお願いをしても、なかなか返事が来ずヤキモキします。でも焦ったり急いだりするのはお上品ではありません。男性からのお誘いなんかも、たとえ暇でも一度断って数日後に延期してもらうのが淑女の嗜み、格式の高さを見せるのも大事、というのものんびりしていてちょっと滑稽で、見ていて愉快です。

万事に置いて全てがゆっくりゆっくり進められていく時間の流れの心地よさ。既読がついて数分で返信がないとヤキモキする世界に住んでいると、この時代の鷹揚さがなんとも懐かしく豊かに感じられます。何か大切なものを失くしてしまった気持ちにもなります。


折角なので本を読み終えてから市川崑監督の映画版を改めて見直しました。


画像2


映画は2時間と少しにまとめるためにかなり改変されています。

原作では皆感情を簡単には露わにしません。相手の所作や表情を盗み見て心境を推し察り合う様子に人間の奥深さや人間関係の面白みが浮かび上がるのが魅力。ズバズバ言い合うところではなく、言い合わないところに物語が生まれるところが日本的で興味深いです。

心情描写には特に筆が尽くされていて、ちょっとしたことで右往左往する様子に何行もの言葉が重ねられるのですが、しかしそれが全く助長ではありません。上流階級の女性たちのああでもない、こうでもないとぐずぐずする様子が愛おしく思えてくるあたりに谷崎潤一郎の文豪たる所以が見えます。

しかし映画ではみんな思ってることを明確に相手に伝え、泣いたり怒ったり、分かり易い人間になってしまっているのがやや残念。こいさんはあんなに泣いたりしないから面白いのにな。でも映画は本に比べると心象風景をタラタラとは描きにくいのかもしれないと、映画の弱み、小説の強みについて考えさせられました。

他にも原作ではあんまり出てこない鶴子姉ちゃんを映画へ引っ張り出すために姉妹のエピソードをあべこべにしたせいでそれぞれのキャラが薄まってしまっているのも目につきます。貞之助兄さんがやらしい感じに改変されてるのは必要だったのかも不思議(石坂浩二はやらしい感じがすごく似合うけど)。

それでもここまでの長編大作を上手くまとめ上げたなとは思いますし、これはこれで充分楽しめる作品です。豪華な着物と桜吹雪を見るだけでも目に美しいですし、女優さんがみんな華やかで良い。雪子ちゃんを演じる吉永小百合なんてまさにピッタリ。”ニヤニヤ”した笑い方、原作のイメージ通りでした。辰雄兄さん役の伊丹十三も巧いし、けいぼんのアホぼんぶりもなかなかです。


でもやっぱり是非とも原作を読んでもらいたい。手に取ると分厚さに一瞬躊躇するかもしれません。でも特別複雑な内容でもありませんし、極めて平易な表現で書かれていて、思いがけず簡単に読めてしまいます。

やんごとなき人たちの優美だけど世間体に縛られた社会。失ってしまった日本の美意識。小さなことにあたふたと想いを巡らせ、何をするにも悠長で時間がかかる、この優雅な世界にずっと浸っていたくなります。こういう小説に出会うと、文学というものが存在していてくれて本当に幸せだなあと感じます。

秋の夜長に、いかがでしょうか。


この記事が参加している募集

#推薦図書

42,498件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?