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読書記録

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#小説

愛と欲 谷崎潤一郎『卍』

人妻園子と年下の学友光子の恋愛を中心に、グルグルと渦巻いてゆく人間模様を描いた谷崎潤一郎の作品です。物語は筆者の元へやってきた園子の告白から始まり、全編を通して園子の言葉で語られます。 初めはただの痴話喧嘩の話かと微笑ましく読んでいたのですが、さすが谷崎潤一郎。ラストの数十ページでどんどん狂気が増していきます。 人間を支配したい欲望、支配されていると分かっていても抜け出せない関係、そして支配されることの心地良さ。人間関係がもつれ合い、騙し合い、駆け引きし、嫉妬に燃え上がる

過去と現在と未来を同時に経験するヘプタポッド

人生の選択をするとき、未来に重きを置きすぎるのは危険な甘い罠なのではないか、ということを考えていたときに、一冊の本のことを思い出しました。 折に触れて思い出す一冊というのがあります。それは決してお気に入りの本ではないけれど、なぜかあるワンシーンが頭のどこかに引っかかったまま何年も色褪せなかったり、読みながら疑問に思ったことの答えが出ずに頭の片隅に置かれているものだったりします。 テッド・チャン著『あなたの人生の物語』もそんな本のうちの一冊です。本書を読んでいない方でも、映

怒りの読書の処方箋

ちょっと前に、とある人気作家によるとある小説を読んだとき、読みながら抑えきれない憤りの気持ちが沸き上がってきたことがありました。本を読んで大人気なくこんなにイライラしたことは初めてです。ツマラナイのではありません。憤りを覚えるのです。 その主人公の思考回路や行動がどうにも受け入れられません。まあそんなことはよくあることでしょう。主人公が嫌いなタイプ=ツマラナイ小説ではありません。逆に自分と全く異なる趣味嗜好思想の人物だからこそ気になることもあるし、実生活では決して関わり合い

『リアル・シンデレラ』あの子は本当に不幸なの?

何かイベントがある時にひとりだと、寂しく感じます。でもその時私はひとりだから寂しいのか、イベントと言う"誰かと楽しむべき日"にひとりでいることに寂しいと感じているのか、それともそんな日にひとりでいるなんて寂しい子と誰かから思われるのではと想像して寂しいと感じているのか。ふとそんなことを考えます。 幸せかどうかと言う問いも寂しいかどうかと言う問いに似ていて、果たして自分の基準で測っているのか、世の中のムードによって作られた”自分”の基準で測っているのか、それとも他者の基準で測

『東京セブンローズ』 人をつくるのは国家か言語か

面白い小説を読んでると、どんどん物語の世界にのめり込んでいってしまいます。 面白ければ面白いほどページを閉じても本の世界は止まらず、日常生活が侵食されて行きます。他のことをしつつも頭の中の半分はまだ小説の世界に取り残されていて、上の空。 何か思いつくことがあると、例えば読んでいる内容、その何が面白いのか、どこにどうして感銘を受けたのか、小説の中の状況に対して自分ならどうするか、以前に読んだ本との関連性や現実との対比などなど、誰かに話して聞かせずにはいられなくなります。読ん

一番好きな小説を選ぶなら、谷崎潤一郎の『細雪』

初めて読んだのは10年以上前でしょうか。とてもとても大好きな本なのですが、文庫で三冊と大長編、今まで一から読み返すということがありませんでした。ところが久しぶりにページをめくってみると、一行目からもう関西弁のリズムが心地よく耳に懐かしく響きます。気がつくと最後まで一気に読めてしまっていました。 第二次世界大戦前という時局の割には劇的なことが起こるわけではなく、ただただ日常の細々した出来事や風土、そして蒔岡家の姉妹の心情が微に入り細に入り克明に描写されているだけ。ところが文豪

『恥辱』転落する人生の痛みと可笑しみ

ジョン・マクスウェル・クッツェーは南アフリカ出身の小説家。2003年にノーベル賞を受賞しました。今回読んだ『恥辱』は1999年に発表された長編作でイギリスのブッカー賞を受賞しています。とても読み応えのある作品でした。 『恥辱』J・M・クッツェー 舞台はアパルトヘイト撤廃後の南アフリカ。主人公は52歳、離婚歴有り、最近は老いを感じ始めたもののこれまで女性に困ることはなかった大学教授のデヴィッド。週に1度女を買うことで満足していたが、ある日教え子の女学生と関係を持ったことで人

『風の歌を聴け』と、果てしない読書の話

久しぶりに村上春樹文学に触れたくなって、『風の歌を聴け』を再読。学生のころ読んだときには引っかからなかったけれど、今読むと思っていた以上にキザな文章で、ちょっと驚きます。それでもやっぱり群を抜いて独特で、良い塩梅に、良い意味で、軽薄。本書のどこをとっても、一文引用するだけで、彼が書いた文章と分かるのではないでしょうか。ストーリーというようりも独自の文体が作る世界があって、ときどきその中にぷっかり浮かんで漂いたくなる心地良さがあります。 文化系で気取りたい年頃の男の子特有な表

『ずっとお城で暮らしてる』シャーリィ・ジャクスン

狂人の日記を読んでいるような、いままで疑うこともなかった常識が歪められ、めまいを感じる一冊、シャーリィ・ジャクスン著『ずっとお城で暮らしてる』。 あらすじ 家族が殺された屋敷に住むメアリ・キャサリンと姉のコンスタンス。外界との関わりを断ちふたりきりで過ごす楽園に、従兄のチャールズがやってくることで、閉ざされた美しくも病的な世界に変化が起こり始める。 解説の桜庭一樹さんが呼ぶ”本の形をした怪物”と言う異名に負けない、静かな衝撃作です。 ※本書の桜庭さんの解説に、後述する

『愛と死』武者小路実篤

久しぶりに読書して号泣しました。 武者小路実篤の『愛と死』は、誰かを愛する気持ちを衒うことなく、ときに読んでいて恥ずかしくなってしまうくらい純粋に書き上げた一冊です。タイトルにもあるように、愛と死の物語。すでに何世紀にも渡って幾度も小説の題材として取り上げられて来たであろう使い古された主題と単純なストーリーなのですが、だからこそ筆者の非凡なる才能をとくと味わえる一冊です。 さらに非常にわかりやすい日本語で書かれていることも特徴でしょう。こねくりまわした表現は一切ありません

『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ

知らぬ人はいない名作かと思いますが、いまごろ遅ればせながら読了。最近長編小説を読み切る体力がないなあ、と感じていたのですが、読み始めると止まらない。とても嬉しい。 読書を続けていると、次に読むべき本がわかり、それを読み始めると体にぴったりと合うような、心地よいあの肌感覚が得られる、最上の読書体験ができました。 最近ネットフリックスでアニメばっかり見ているけれど、たまにはじっくり本を読むことが自分にとって必要なことだと思い出します。アニメを見ていると、テンポよくどんどん話が

三島由紀夫入門

三島由紀夫は『金閣寺』を始めとして、何冊か挑戦したのですが 今まで一冊も最後まで読み切ることができていませんでした。 海外に住む日本人として、三島由紀夫の一冊も読んでいないようでは 恥ずかしくていたたまれない。 そんな私のような方、これ、おすすめです。 三島由紀夫がこんな軽いタッチのエンターテイメント小説を書いていたなんて! 『命売ります』 三島由紀夫 自殺に失敗した青年が、新聞に 「命売ります」と広告を出すところから始まる物語。 命を買いに来るお客さんたち