大切なものはそんなに多くない
死生観
仲間から出てきた言葉。
自分が死ぬ時どんな状態か、、
私はいつからかこれのイメージを持っている。
私は病気か、不注意で死にそうだ、、なんて思ってた時もあったけど。
ベッドの上。
今まで出逢えた大切な人たちの顔が頭の中にたくさん浮かぶ。家族の顔、友人の顔、仲間たちの顔、、
こんなにも大切に想える人たちに出逢えて、この人生は幸せだった。
と、思いながら、亡き夫に似てる息子に手を握られて、お父さんに似てるわねって目を閉じる。(ここは願望😂娘もいる予定)
そんなこと仲間たちに話して、
旦那さんは先に死んでるんだねって突っ込まれて、男の人は残されると弱いからって、
みんなと笑って良い時間だった。
あちらに持っていけるものは、最後のその心くらいかしら。
今年に入って、仲間の身近な知人が亡くなって、あらためて死を見つめることがあった。
とても素敵な人だった。私も悲しかった。
人はいづれは死んでしまうものだから、
ただ笑ってた日も、ぶつかり合うことがあった日も、大切に想ってることをいつも言葉や行動で表現しているつもり。
私が消えてなくなっても、あなたがなくなっても、できる限りどちらも悔いることがないように、悲しい言葉でその日を終えることはない。
"君の膵臓をたべたい"
病気を連想させる物語は好きではなかったけど、知人に勧められて読んだ。
これを読んでから、より一層、大切な人たちとの今を、大事にするようになったような気もする。
尊敬していた人が教えてくれた一冊を思い出す。
"アルケミスト"
読むたびに刺さるところが違って面白いよってプレゼントしてくれた。
初めて読んだ時、一番心に残ったのは、
2滴の油が入ったティースプーンの話だった。
当時、油を安定させることに必死で、世界に目を向けることができなかった。
スプーンを持つ必要がないように見える人たちをたくさん羨んだし、油なんか無い方が良いと思うこともあった。かなり心は荒んでた。それぐらい在ることが苦しいほどの大切なものに出逢えた人生と、正面から向き合っていた時だった。スプーンから目を離すのが恐かった。
大事なものを、心から大事に想えていること。
自分がいつしか見出した幸せの定義はこれだった。大事なものをそう想えていないことほど、私にとって不幸なことはない。
スプーンに人生を縛られては、油が煩わしくなってしまう。でも油のない人生は空っぽだ。
ぁー、やっとスプーンを持ったままちゃんと顔をあげて、私は歩き出したんだ、そんなことを思うこの頃。
スプーンの中には何がある?それをわかっていることは、とても大事なことだった。
本当に大切なものは、そんなに多くない。
新しい季節。久しぶりにアルケミスト読み返そ。◎
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昨年のいつからか、家ではずっと彼のピアノ🎹
サビのない、ただただ移り変わって、流れていくような彼のメロディーが心地よくてとても好き。
今日は芽キャベツを見つけた。春の食材はやわらかい🌼
スーパーや八百屋をふらふらするのが大好きだ。
買い物は、出逢ったおいしそうな食材をとりあえずカゴに入れてくスタイルで、
冷蔵庫にあるものとぐるぐる頭で組み合わせながら終えて、実際料理している最中にもいろんな変更をする。塩じゃなくて、トマト味にしようか🍅
旬なものに出逢えたりすると、よりこの時間が本当に贅沢で。。ただただ自分を満たすためだけの。豊かさ噛み締める。
満たされるとインスピレーションも湧いてくる。ちょこちょこ進めているものづくりも捗る。
自分の感性が、喜ぶことをしていこ。🌱
いただいたサポートは創作活動に充てさせていただきます🙇♀️