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【素敵人インタビュー】プロサッカー選手を目指し、19歳単身でスペインへ②

怪我に、敗北。挫折が少年を奮い立たせた。

スペインを目指したきっかけは、中学時代の遠征。
出身地・熊本のJ2チーム・ロアッソ熊本の下部組織に所属していたとき、スペインへ遠征し、同年代の選手と試合をした。
 
「子ども対大人みたいでした笑」
 
初めての外国人チームとの対決。歯が立たなかった。
何か彼らの方が勝っていたのか。
体格の大きさか?それとも、グラウンドやロッカールーム、食事などが整った環境で練習をしているからか? 
いや、なによりも勝利への執念が強かったからだ。

気持ち面で強さを保てるかが鍵だと気づけたのは、大村さんのその後のサッカーにも大きな影響をもたらした。

中学時代の大村さん

遠征では試合以外でもいろいろな発見があった。
スペインの有名チーム・ビジャレアルで働く日本人スタッフと出会い、日本人がスペインのリーグで働いていることを知ったこと。
そしてスペインという国の素晴らしさだった。
 
「スペインの文化、人、空気、時間の流れ方が自分にとって新鮮でした。中学生の時は、大人とは“ひたすら真面目に働く人”を指すのだと思っていたんです。でも、スペインでは、朝から酒飲んだり、コーヒーにお酒入れたり海で食事したり(笑)
とにかく『幸せそうに生きている。かっこいいな、この人たち!』と住む人たちに魅力を感じました」
 
「いつか戻ってくる」。そう心に決めて、帰国の途についた。
 
中学卒業後、鹿児島県のサッカー強豪校のサッカー部に入部。高校3年生でキャプテンを任され選手権優勝を目指しチームを牽引していた大村くんだったが、悲劇が襲う。トレーニング中に左足の小指を骨折し、半年間プレーが出来なくなったのだ。そんな大けがをして療養を余儀なくされたのに、大村さんは驚くほど冷静だった。
 
「初めての挫折でした。何事も全てうまくいくわけじゃないんだなと思いました」
 
怪我したことに対して、つべこべ言っても、早く治るわけじゃない。むしろ浮かんだのは、ずっと支えてきてくれた家族、管理栄養士、病院関係者など、サポートし続けてくれた人たちの顔ばかり。
 
「自分のためにメニューを組んだり、栄養を考えてくれたり。自分一人だったら多分『サッカー、もういいかな』と思っていたかもしれないです。サッカー関係者以外からもサポートしてくれた人がたくさんいたので、その人たちの顔に泥を塗りたくないなと」
 
また強くなって良い報告をしたい。
懸命にリハビリを続けたおかげで、再びピッチに戻ることができた。しかし大会1ヶ月前に、別の新しい怪我をした。全治3ヶ月。選手権の県大会開幕前日まで休み、当日はテーピングをガチガチにして出場した。
 
トーナメントでは順調に勝ち進み、決勝に駒を進めた。相手は強豪チーム。先に点を決められるが、大村くんが同点ゴールで追いつく。だが相手チームに追加点を決められ、県準優勝で涙をのんだ。
 
「自分はまだまだなんだ」
 
優勝できなかった悔しさでいっぱいになった。でも自分のやってきたことに後悔はないし、不思議と爽快感すらある。涙もこぼさなかった。

「これからは、海外に挑戦したい」

会場をあとにするときには、大村さんはすでに前を向いていた。

高校3年 県大会決勝試合にて

第3話へ続く、、、

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