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「心理療法の精神史 叢書パルマコン・ミクロス」が読みかけだけどめっちゃ興味深い

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はじめに


メンタルに不調をきたす人達が周りに多くいた影響で、精神分析や宗教に興味を持つときが人生の中でしばしばありました。
(心理学の知識はあまりありません。心理学は人の心を統計やデータをもとに分析・研究するため、周囲に苦しんでいる人がいるときに慰めるための道具としては使いづらかったからです。また、私が心理学に入門できるほどの時間的余裕がなかったこともあります。)

本の紹介

今読んでいるこの本は、古代の呪術から中世の宗教、近代の科学の発展から現代の心理学、精神医学に至るまで、「人がどのように心の病を癒やしてきたか」について、歴史を追いながら解説している本です。

私はまだ前書きと1章しか読めていませんが、それでも面白いです。
古代の魔術や、未開の部族の呪術、儀式などが好きな人はとても楽しめる本だと思います。
医学が発達していなかった古代においては、肉体的な病も霊や呪いが原因だとして、それらを祓うことで健康に近づこうとする考えがあったようです。古代において、癒やしは呪術師の管轄だったとのことです。
(本当はもっとしっかり本文を引用して書きたいのですが。。。) 

この本を読んで思ったこと

この本を読んで思ったことがあります。
それは、心を癒やすとは、何らかの原因があって社会や集団から離れてしまった、もしくは離れざるを得なかった人を、もう一度集団の中に受け止めていく営みなのではないか、ということです。

所属する集団の中でトラブルがあった際、人はその集団から離れることがあります。
不本意な形で集団を追われた場合、人は落ち込んだり悲しんだり、怒りを感じたりします。

この感情のゆらぎは、しばしば日常的な場面で許容される範囲を超えています。

例えば、極度の悲しみは周囲が対応しきれないため、抑うつ、メランコリーと呼ばれ、病的とみなされます。
また、極度の怒りも周囲が対応しきれないため、ヒステリーなどと呼ばれ、同じく病的とみなされます。

この、日常で許容されないほど膨れ上がった感情のゆらぎを受け止めるための舞台として、一見非科学的で非現実的な「魔術・呪術」というものがあったのではないでしょうか。
そして、日常の範囲を超えてしまった感情を許容する場として、特別な舞台が用意されたのではないでしょうか。というのがこの本を読んでひらめいたわたしの仮説です。

現実で許容されなかったものを、非現実的な舞台の中で許容する。
非現実的な舞台で感情を許容されることで、人は落ち着いて、再び現実に戻って日常を歩んでいくことができる。

そのような事を考えました。

おわりに

私はもっと人間のあり方について理解できたらいいなと思います。
私はコンピュータと向き合いながら日々を過ごすことが多いですが、多くのwebサービスは情報を送る人間と情報を受け取る人間がいるから成り立っています。顔が見えないだけで、私は人間の作ったサービスや人間の発した情報に囲まれて日々を過ごしています。

だから、人間を理解することは面白いだろうと思います。


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