夏の果て、スペインの車窓にて
2年前の今日、恋人と別れてスペインに行った。
旅行という楽しい時間を過ごせば気が紛れると思った
から、もとから予定されていた家族旅行の3日前に、
わたしから別れを切り出した。
嫌いになったわけじゃない。
だけどこのまま一緒にいたらだめだ、と思って、何週間
も悩んだ挙句、思い切って伝えることにした。
だから別れを告げた後、まるで自分が振られたのかと
思うほど、寂しさが一気に全身を覆った。
このまま非日常に溶け込んで、彼のことは全部忘れ
よう。
そう思って、わたしは明るく陽気な夏の国へ飛んだ。
スペインの夏はすべてが明るくて、色に例えると赤に
近いオレンジ、という感じだった。
目に入る人は大体みんな楽しそうに笑っていたし、
夜は22時過ぎてもまだ空が明るい。
広場では陽気な若者たちがテラスで乾杯している。
ようやく陽も落ちて夜がきた頃には、日付も変わって
いるのにギターを弾き語りしながら歌うおじさんが
出てきて、それはそれでまた、新たな楽しい夜が
はじまる。
とにかく朝も夜も長くって、みんながこの夏を目一杯 謳歌している、というのが、至るところから伝わって
きた。
朝から晩まで好きなものを食べ、お酒を飲み、綺麗な
景色や建築物をみて、愉快なスペインの人たちと笑い
合う。
それはそれは楽しい夏、に、なるはずだった。
途中までは、うまくいっていた。
旅の道中、わたしは何度も彼のことを思い出した。
おいしいものを食べたら、彼のために買って帰ろうと
お土産屋さんで同じ商品を探したし、綺麗な景色を
見たら、写真を撮って送ってしまいそうだった。
送信ボタンを押す直前で気づき、はっとした。
しかもそれを、無意識でやってしまっていたもの
だから、わたしはますます愕然とした。
泊まったホテルは、妹たちと3人部屋だからという
理由で、やけに広い、スイートだった。
夜、ホテルに到着したとき、なんだか派手なホテルだな
と思ったのだけど、後から聞いたらそのホテルはハネ
ムーンに使うカップルが多いらしかった。
屋上にはプールとバーがあって、部屋の窓からは夜遅く
まで煌びやかなネオンがみえ、窓を閉めていても幸せ
そうな声がここまで聞こえるような気がする。
こんなに素敵な部屋を用意してもらって恩知らずな
ことは承知で言うと、どうしてわたしがこんなに惨め な気持ちにならないといけないんだ、と、場違いな
怒りとやり切れなさを抱いた。
滞在中はそんな気持ちを抱えながら、無駄に広すぎる
ふかふかのベッドで眠った。
旅の中盤、マドリードから列車に乗って郊外の街を
訪れた。
車窓からの景色を眺めながら、わたしはスペインと
いう陽気な場所に最もそぐわないと自信を持って言える、ヨルシカの曲を延々と聴いていた。
それは彼と最後に会ったとき、薦められた曲だった。
「人生最期の日」というフレーズが頭の中を何度も
駆け巡って、わたしは頬杖をついてひたすら続く芝生 を眺めるフリをして、静かに泣いていた。
わたしは今後、彼の人生最期のときに、一緒にいられ ないのだろうか。
もしわたしがここで何か事故に巻き込まれて、日本に
帰れなかったら、彼はわたしのために、泣いてくれる
のだろうか。
わたしから別れを切り出したのに、そんな考えばかり
が浮かんだ。
こんな明るくて爽やかな土地で、湿っぽい感情しか
浮かんでこない自分に、呆れて腹が立った。
けれどどうすることもできなくて、ひたすら涙を
流れるままにして車窓を見つめていた。
今日、帰り道に音楽を聴いていたら、たまたまヨルシカ
の曲が流れた。
それがきっかけで、ああ、そういえば、ちょうど2年前
の今日、そんなことがあったなあと懐かしく思った。
今でもこれを聴くと、2年前のことを思い出して、
スペインの車窓からみえたキラキラ光る芝生とあの夏
の寂しさを思い出す。
はじめて自ら手放した恋と、見知らぬ地でもう会えない
かもしれない人を想っていたときの心細さ。
いつかまたスペインを訪れたときは、そんな思い出話
を誰かと笑ってできるだろうか。
そしてその誰かとは、人生最期のときまで一緒にいられたらいいな、と思う。
今度はちゃんと、手放さないで夏を越えるから。
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