見出し画像

工事現場と夏祭りの夜


夜の工事現場で、ふいに夏祭りを思い出した。

夜道を歩いていたら、道の反対側で工事をしていた。

真っ暗な闇の中に、雛祭りのぼんぼりのような、
大きな橙色の提灯のような灯がぽっと点っている。

じめじめした空気がべったりと肌に張りついて、
ただでさえ我慢ができないくらい暑い。

道に並ぶ大きな乗り物たちからは、もくもくとした
熱気と、独特の匂いが放出されている。

その匂いとうだるような暑さ、夜の空気、提灯の
ような灯、大きなエンジン音が一斉にわたしの身体を
襲ってきたとき、ふと「夏祭りみたいだ」と思った。

匂いや音、空気の感じがなんとなく似ている。

だからふと、あの夏祭りの夜のことを
思い出したのかもしれない。


あの夏はずっと暇で、夏祭りに行く相手がほしかった
のに、一緒に行ける相手がいなかった。

正しくは、一緒に行きたい相手がいなかった。

だから、目の前にいた、彼に気まぐれで声をかけた。

すごく一緒に行きたい相手でも、絶対一緒に行きたく
ない相手でも、どちらでもなかったから。

聞いたわけじゃないけど、彼はたぶん夏が一番嫌い
で、夏祭りなんて絶対に行かないようなタイプだった。

それなのに彼は、二つ返事で「いいよ」と言った。

人混みも暑いのも、イベントもきっと好きじゃないのに。


靖国神社はすごい人混みで、少しでも目を離すと
簡単に逸れてしまいそうなくらい、人、人、人。
人の海だった。

わたしたちは、別に手を繋ぐような関係でもなかった
し、繋いで欲しいとも思っていなかった。

できれば繋いで欲しくないとすら思っていた。

とはいえ何も気にせずにずんずん前に進まれても
困るし、どうしたものかなあと思っていたら、
彼はわたしを一瞬見失ったのか、慌てて左右に首を
振っていた。

「ここにいるよ」と言うと、彼は一瞬安心したような
表情を見せて、そのあとはすぐにいつものポーカー
フェイスに戻った。

はぐれないように何度も何度も後ろを振り返る真剣な
横顔が、なんかいいなあと思った。


その頃、わたしの心の拠り所は彼しかいなかった。

わたしは彼が自分に対して好意を抱いていることは
薄々気づいていたけれど、気づかないふりをしていた。

唯一の居場所を、失いたくなかったから。

彼の好きがどんな種類かはわからなかったけど、
感情を理性で蓋していることは伝わってきて、
その頃のわたしにとっては、その事実がわたしを
何よりも安心させた。

帰り道、ピアスを落としてわたしより必死に探して
くれて、最終的に見つからなかったときは、なぜか
わたしより落ち込んでいた。

常にお金がない人だったからほとんど何も食べて
いなかったけど、帰り際には「楽しかった」と口元を
片方だけ上げてぼそっと呟いた。

たしかにかき氷を頬張っている横顔は、いつもより
はしゃいで、幼くみえた気がする。


あれ以来、彼とはめっきり会わなくなった。

特に理由はないのだけど、気づいたら、もう数年間は
会っていなかった。

夏祭りのない夏の夜、彼は何をしているのだろうか。

彼も夏の夜道で工事現場に遭遇して、あの日のことを
思い出したり、なんて、していないだろうな。

ひとりだと料理もしないし、いつも冷蔵庫で何かしら
の食材が腐っていたから、今もひとりで倒れてないと
いいけど。

今日はコンビニでかき氷を買って帰ろう。

そう思い立って、工事現場の先、闇の中の光に
向かって急いだ。

この記事が参加している募集

いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *