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これはわたしの人生で、愛に一番近い物語。




まさか。まさかこんなことが、わたしの人生に起きるなんて。

彼に渡された五千円札を握りしめて乗り込んだタクシーの後部座席で、まず最初に浮かんだのは、「ああ、今日は起きたらあのお客さんにメールを書かなきゃ」だった。

そんな見当違いなことをぼんやりと考えてしまうくらい、あの時のわたしは動揺していた。

その数時間以内に起きたことすべてが、最近の自分にとってあまりにも現実離れしていて、簡単にはその状況を飲み込めなかった。





明け方に向かって走るタクシーの中で、目に映る空は、仄かに明るく乳白色をしていた。

頭は少し痛むのに、身体は軽く、なんだか清々しい気分だった。

…あ、綺麗。

その言葉が胸の内にふっと浮かんできたあの時、わたしはきっと、すべてを予感していたのだと思う。

これから始まる、おそらく人生で一度きりの、愛に一番近い物語について。





彼との関係の始まりは、あまりにも唐突で、それでいて現実的で、ロマンティックさのかけらもなかった。

第一、はじめて会った時わたしは彼に対して好意どころか人としての関心すら抱いていなかったし、たぶんこの人と仲良くなることはないだろうなあ、とまで思っていた。

彼がわたしの人生に入り込んでくる可能性なんて、1ミリも考えていなかった。

そんな彼と再会したのは、複数人での食事会だった。

年齢がわたしより一回りも二回りも上の人たちの中で、最初は緊張していたものの、お酒が回るにつれて、わたしも徐々に彼らに打ち解けていった。

そこで何を話したのかはあまり覚えていないし、彼への印象は、「この人、意外と仲良くなれるかもしれないな」くらいだったのだけれど、その後すぐに、彼から連絡がきた。二人での、食事のお誘い。






正直、あまり乗り気じゃなかった。乗り気じゃなかった、というより、特に心が躍らなかった、という方が正しいかもしれない。

今思い返すと不思議なくらい、全く心が動かなくて、どうしたものか、と数日悩んだ。

ただ、食事会の時に感じた、「この人は、他人に流されずに、自分の目で、心で物事を判断できる人なんだろうな」という印象がなんとなく記憶の片隅に残っていて、「一度くらいは、会ってみよう」という結論に至った。

思えばこれが、この時の微かな印象が、今後わたしが彼に抱く好意のすべてを物語っていた。





はじめてふたりでカウンターに座って話した時は、あまりにもすんなりわたしの景色に彼が溶け込んでいたので、その自然な様子に拍子抜けしてしまった。

年齢が一回りも離れていることなんて全く感じなくて、美味しい料理をつつきながら、ふたりでたわいもない話をする。

話しながら、やっぱり、この人は自分を愛する能力がとても高い人なんだなと思った。

愛する能力、と言うと大袈裟かもしれないけれど、周りの価値基準に惑わされることなく、自分の心や感覚、自分のものさしで物事を見て、考えて、受け止めることができる人。そんな風に感じた。

自分を大きく見せることもなく、小さく見せることもない。客観的に自分のことを眺めることができていて、驕ることも焦ることもない。

今まで出会ってきた「歳上の男性」とは何だったのだろう、と思ってしまうほど、常に冷静で落ち着いていて、その落ち着きがこちらにも伝染して、一緒にいるとやけに安心した。





感情の起伏が小さく、常に一定のテンションを保っている。口調も終始、穏やか。

それがそのまま彼の心の状態なんだろうなと、話をしているうちに段々わかってきた。

自信がある、というのとも違う。積極的に、自分を愛している、というのとも違う。

彼から発せられるエネルギーはどちらかというと控えめで、熱さやギラギラしたものは、一切感じられない。

まだ陽も昇りきっていない時間帯の浜辺で見る、静かな波のような穏やかさ。それが、彼が全身に纏っている空気だった。

彼のことを知るにつれて、自分でも気づかないくらいの水面下で、わたしの心は少しずつ、彼に惹かれていった。






今思うと、わたしたちの関係がこの日はじまることは、最初から決まっていたのかもしれない。

そうだとしても決しておかしくないほど、ここへくるまでの時間の流れは、あまりにも自然で、するすると毛糸が糸玉から解けてゆくように、それはそれは、滑らかに進んでいった。

ここへくるまでに、分岐点はいくらでもあったはずだ。

一軒目のお店を出てから、散歩などせずにそのまま帰宅していたら。二軒目のバーで、もっとゆっくりカクテルを飲んでいたら。

おかわりを聞かれた時に、調子に乗って二杯目を頼んでいなかったら。終電がないとわかった時に、タクシーを拾ってでも帰るんだという強い意志があったら。

挙げたらキリがないくらい、こうならない道はあったのに、それでもわたしたちが、いや、わたしがここへきてしまったのは、彼の纏う空気に、自分でも気づかないうちに惹かれていたからだと言うしかない。






彼の纏う穏やかな優しさが、心だけではなく実際にわたしに触れたとき、それまでにわたしが人生で築き上げてきたものすべてが、崩れ落ちていくのが見えた。

あまりに強固で、壊れることなんてないと思っていた外壁は、粉々になって、ゆっくりとその原型をなくしていった。その様子があまりにも美しくて、思わず涙が出そうになるほどだった。

ただ、わたしの頭にその手が触れただけだった。たったそれだけのことで、わたしが持っていたすべての壁は、崩れ落ちてしまった。

これには、自分でも驚くしかなかった。今でも、どうしてそうなってしまったのかわからないくらい、その手には、抗えないほどの強い引力があった。





わたしがその時感じたものを、「愛」と表現するのは、やや乱暴かもしれない。

けれど、彼の柔らかく厚みのある手から伝わってきたぬくもりによって、わたしはこれまでの人生で一度も感じたことがない類の、あたたかい感情を抱いた。

その様子は、溢れる、という表現以外の言葉が見つからないほど、自分の身体では受け止めきれずに、とめどなく流れて全身を覆ってしまうような、穏やかな勢いがあった。






この感情を「愛」と呼ぶのに戸惑いを覚えたのは、出会ったばかりの相手だから、という理由だけではない。それ以前にもっと、彼には致命的な点があった。

相手がいたのだ。ふたりで会うまで全く知らなかったし、何なら未だに、一度も面と向かってはっきり伝えられたことはない。

はじめて会話の中でそれとなく話が出た時、数秒間は心臓が止まった。けれどあまりにも動揺していたわたしはタイミングを逃し、結局聞くことができないまま、ここまできてしまったのだった。

だから、今もいるのか、その相手とはどんな関係性なのか、それすらも曖昧なままだ。





まさか、自分の人生で、こんなことが起こる日がくるなんて。

こんな状況に陥ってしまったことも、そんな相手にはじめての感情を抱いてしまったことも、何もかもわたしの日常からかけ離れた出来事で、すぐには信じられなかった。

けれど、驚くことに、と言うべきか、呆れることに、と言うべきか、そんなわたしの心は、動揺や後悔よりも、言い知れない幸福感で満たされていた。

非難や誤解を恐れずに言うと、この時わたしは、紛れもなく「幸せ」を感じていたのだ。





「まさか、君に好かれるとは思わなかったな。」

驚いた表情でそう言う彼に、あの時は、「それはわたしの台詞なんだよなあ」と、心の中で思っていた。

だけど、あれから何度も彼に会うたびに、わたしは最初から、無意識に彼に惹かれていたんだろうな、と思うようになった。

もしかするとそれは、繰り返し会う中で確認作業のように「惹かれた理由」を言語化していっただけなのかもしれないけれど、今ではあの唐突なはじまりも、すべてが決まっていたことのように思えてならない。

わたしに「愛」に一番近い感情を、教えてくれた人。そんな風に表現するのは、あまりにも浅はかで、愚かなことだと思われるだろうか。





わたしはまだ、愛が何なのかわからないし、この関係が、ずっと続いていくとも思わない。

だけど、彼と別れてひとりで乗るタクシーから見る空は、いつも涙が出そうになるほど綺麗だし、心はいつもあたたかく、満たされている。それだけは、確かだ。

わたしは愛の、正体が知りたい。それも、彼を通して、知りたいと思う。

それが正しいか間違っているか、については、今は考えないようにしている。ただ、彼の目を通して、世界を、自分を見てみたい。今思うのはそれだけだ。





わたしの人生で、おそらく一度きりになるであろうこの物語は、いつ終わりがくるのか、それはどんな終わり方なのか、それすらわからない。

ハッピーエンドかバッドエンドかと聞かれたら、前者になる確率は極めて低いけれど、それでも今は、先のことは考えないようにしようと決めている。

答えが見つかるのが先か、この関係が終わってしまうのが先か。今は全く想像もつかないけれど、その時までは、もうしばらく。

物語は、続いていく。

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