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もう"誕生日"は特別な日じゃない。日常を愛せるようになった、25歳の小さな取り組み。


25歳、最終日。

いつもより早く出勤して、いつもより遅くまで働いていたわたしは、帰りの電車の中で、「あれ?」と思った。


「誕生日が、自分にとって特別な日じゃなくなってる…」


去年までのわたしは「誕生日」という日を、1年で1番大切な日だと思って生きてきた。だから「前日・当日に何も予定がない」ましてや「仕事で帰りが遅くなる」なんてことは、絶対にあり得ないことだった。

それなのに、今年は何の躊躇いもなく、いつも通りの日常を送っている。それでいて、「今が一番しあわせだなあ」なんて、呑気な顔で電車に揺られている。



一体これは、どういうことなんだろう。
考えてみたら、答えはすぐに見つかった。

今の自分は日常に満たされているから、誕生日を特別なものだという感覚が薄れているのかもしれない


まだまだ悩んだり落ち込んだりする日もあるし、すべてを投げ出したくなってしまう夜もある。

だけど、それでも日々を大切に過ごせるようになったのは、25歳を必死に生きてきたからなのかもしれないな、と思う。



そんな25歳の自分を、たまには讃えてあげようかな。

ふと思い立って、愛おしい日常をつくりあげることにつながった「25歳の小さな取り組み」について、文章をしたためよう。そう思った。


①noteを通して、自分を「すべて」さらけ出してみた

わたしのnoteを読んでくれている友人や知人には、「実名で顔も出しているのに、よくあれほど自分のことを包み隠さずに書けるよね」と驚かれることが多い。

実際、ここに綴っていることは(小説を除いて)ほぼすべてが事実だし、特に最近の振り返りnoteや気づきを綴った文章は、「こんな文章、読んでくれる人はいるのかな…」と不安に思うことも多い。(公開ボタンを押すあの瞬間は、未だにどきどきしてしまう。)



けれど、noteを初めて公開した、2年前の5月27日。あの日から、「ここは自分が、自由に呼吸できる場所なんだ」という気持ちで、ひたすら心から溢れだす言葉を紡いできた。

そのほとんどが、自分の弱さや暗さ、未熟さといった「日常生活では、できる限り他人に見せないようにしている自分」だった。



にもかかわらず、そんな自分を「好き」と言ってくれる人が現れ、「心を救われた」と笑顔になってくれる人と出会って、ああ、自分の言葉も、誰かの心に触れることがあるんだなあ、と感動してしまった。

直接人と会う頻度が少なくなって、新しい人と出会う機会も減ってしまった1年だったけれど、言葉を通して出会えた人や感情たちは、今も自分の中で、生き生きと光を放っている。


②「自分」を生きるために、毎日を記録してみた

25歳は、何かと「自分について記録していた」1年だった。

たとえば、去年の夏は1ヶ月間、毎日noteを書いてみた。今年に入ってからは、元旦から毎日、お気に入りの手帳に振り返りを書いている。

そんな日々の「記録」を続けていたら、自分の体調や心の変化、思考の癖や価値観まで、手に取るようにわかってきた。そして、より生活や自分自身を改善するために、自然に行動できるようになっていた。



「自然に」というのが、ここでのポイントなのかなあと思う。

義務感でもなく、建前でもない「よりよくするための、次の一歩」
が踏み出せるようになったのは、日々自分と向き合って、心の声をちゃんと聴くことができているから。

毎日、ほんとうに少しずつだけど、自分が変わりつづけている感覚がある。なによりも、「地に足をつけて、自分の身体で生きている」という実感が湧いているのがうれしい。

25年間ずっと悩んでいた身体の不調も少しずつ良くなってきているし、見た目も中身も、一歩ずつ、好きな自分に近づいている、そんな気がしている。


③長期視点を取り入れてみた (だけど、最後は心で決める。)

小さい頃から完全に右脳型のわたしは、「好きか、それ以外か」「わくわくするか、しないか」そんな一瞬一瞬の心の動きだけで、物事の大半を選んで生きてきた

だから、ウィンドウショッピング中の衝動買いなんて日常茶飯事だし(一応悩みはするものの、結局色違いで同じ洋服を買うことも多い)、外食をするときは、値段もカロリーも気にせず好きなものを限界まで食べてしまう。

好きな人から連絡がきたら、どんなに夜遅くても疲れていても会いに行ってしまうし、それによって起きた、失敗や後悔のエピソードは数え切れない。



そんな「今、この瞬間を生きている」人間だったわたしは、「5年後、10年後の自分が幸せに感じるかどうか」という基準で選択をして、生きていこうと決めた。

そして昨年の春頃から、物心ついた時から25年間、毎日食べていた食後のデザートは完全に断ち、衝動的な買い物もしなくなった。(そもそも買い物に行く時間をなくしたので、最近着る服がなくて困っている。)

楽しそうなお誘いは、その場ですぐに返事をせずに一旦基準に照らし合わせて考えてみる。



時には悩むこともあるし、今でも長期視点と「今、この瞬間の心の動き」のバランスは難しいなあと思う。

けれど、基準をつくったことと、「一旦考えてみる」を積み重ねていくことで、徐々に自分の中の判断の精度が上がってきているように感じる。



とはいえ人生は一度きりだし、25歳の自分はこの瞬間だけだから、どうしても迷ったら、最後は心で決める

そうやって自分で選んで決めたことは、どれも正解だったなと、思っているから。


***

このなんてことのない、平凡な日常をようやく「愛おしいな」と心から思うことができたのは、いつもわたしの文章を読んで、あたたかい言葉をかけてくれるあなたや、このままのわたしが好きだと言ってくれる、あなたのおかげです。

これからの1年は、そんな日常を支えてくれている大切なひとに、少しでも恩返しができますように。

26歳のわたしも、どうぞよろしくお願いします。


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