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最初で最後の花火の日


毎年、夏がくると思い出す。

花火大会の帰り道で見た、彼のあの背中を。



あの夏のことは、今でもはっきりと覚えている。

同じクラスで気になっていた彼と、

はじめて花火大会に行く約束をした。

夏だし花火行きたいね、なんていうお決まりの

話題から、なんとか一緒に行くところまで

たどり着いたとき、時間はもう、

すっかり日付を超えていた。

何度も何度もLINEのトーク画面を見ては、

自分の目が本当に正しいのか、確認した。

そしてスクリーンショットを撮って、

これは夢じゃない、と言い聞かせながら、

何度も何度も、その画面を開いてはにやけた。


あのもわっとしたぬるい空気の中、

賑やかな屋台が並ぶ通りをふたりで歩き、

「焼きそば食べたいね」

「じゃがバターもいいな」

なんて言い合いながら、花火への高揚感に

向かっていく、しあわせな夏の夜。

そんな時間を、まさか彼と過ごせるなんて。

心が弾んでどこかに飛んでいってしまいそうで、

必死にゆるむ頬を両手で挟んで押さえつけた。


夏。

それはわたしがいちばん嫌いな季節で、

すぐにでも過ぎ去ってほしいと毎年願う、

1年間で唯一「いらない季節」だった。

でも、この瞬間、わたしにとって夏は、

人生でもっとも必要な季節になってしまった。

永遠に、この夏が終わらないでほしい。

都合がいいけれど、そんなことすら思った。

その夜は、夏の夜道をふたりで歩くところを

想像するだけで頭がくらくらして、

なかなか寝付けなかった。


約束の土曜日がくるまでは、時間がいつもより

引き伸ばされたように、長く感じられた。

彼が、待ち合わせ場所にいつもの

水色のTシャツで立っているのを見たとき、

全身の体温が一気に上昇して、

その場で溶けて消えてしまいそうだった。

彼が、わたしを、待っている。

それだけで、わたしは今この瞬間、

世界一幸せな少女に違いない、と確信できた。

前日まで雨の予報で、中止になるかも

しれない、なんて噂もあったから、

一時はどうなることかと思ったけれど、

とりあえず、彼に会えてよかった。

花火なんて見れなくても、もう充分幸せだ。

普段は意識すらしない神様という存在に、

心の中で思いつく限りの感謝の言葉を呟いた。


花火大会までの道のりは曇りで、

天候はなんとか持ってくれたように見えた。

けれど、花火大会に向かっている道中、

雲行きは徐々に怪しくなってきた。

どうか雨だけは降らないでくれ、という

願いは儚く、花火が始まるのとほぼ同時に、

ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてきた。

雨足は強くなり、傘を開く人が増えてくる。

これから色とりどりの花火が上がるはずだった

夜空は、色とりどりの傘で見えなくなった。

周囲には徐々に諦めの空気が漂い、

駅に向かい出す人もちらほら出始める。


「中止…かなあ。」

なるべく見ないようにしていた天気予報は、

ほんとうは、「雷雨」と記されていた。

「残念だけど、帰ろうか。」

彼が折り畳み傘を広げ、頭上にかざしてくれる。

ああ、せっかく途中まで頑張ってくれたのにな。

はじめて好きな人と、綺麗な夜空を見ることが

できると思ったのに。

もう、これで終わりなんだろうか。


クラス替えの前日だった。

彼とは通路を挟んで隣の席で、

教室で話すことはほとんどなかったけれど、

その空間が、距離感が、幸せだった。

ずっと続いてほしい、そう願っていた。

もし今回離れ離れになってしまったら、

もう、こうやって話すことも、会うことも

できなくなるかもしれない。

どうしよう。言わなきゃ。でも。


言葉にできないでいるうちに、

あっという間に駅に着いてしまった。

駅に着く頃には外はもう土砂降りになっていて、

雷の音が遠くから聞こえた。

「ちょっと、チャージしてくるね」

そう言って小走りで改札に向かう、

彼の背中を見たとき。

その背中が、半分以上濡れている

ことに気づいた。

それは傘をさしていたとは思えないほど潔い

濡れっぷりで、わたしは思わず目を疑った。

恐る恐る、自分の服を見る。

当たり前のように、そこに雨の気配はなかった。

気づかなかったけれど、彼はわたしに半分以上、

その小さい傘を傾けてくれていたのだ。

途端にその事実への驚きと、

彼への愛おしさが込み上げた。

心がぎゅっと音を立てる。

戻ってきた彼と目が合うと、嬉しくて

恥ずかしくて、わたしは笑ってごまかした。



あれから、彼とは何度も花火を見た。

夜空に咲き誇る花火はやっぱり綺麗だったし、

ふたりで感動した夏は、数え切れない。

けれど、わたしはいつになっても、

結局花火を見ることができなかった、

あの土砂降りの日の花火大会を

思い出してしまう。

花火は見れなかったけれど、

どんな花火大会よりも、

幸せな記憶がそこにあった。


今年見た花火は、大きくて、色鮮やかで、

とても綺麗だった。

でも、やっぱりわたしは無意識に、

あの花火大会の日のことを思い出していた。

そして、熱が冷めて真っ暗になった空を見て、

想いを馳せる。

彼も今頃、きっとどこかで

この空を見上げているんだろうなあ、と。

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