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君がいない夜とごはん


料理がおいしければ、それは最高の食事だと
思っていた。

もしかするとそれは違うかもしれない、と
気づいたのは、つい最近のことだ。


なかなか手の届かなかった、高級フレンチ。

会員制の、中華料理店。

予約困難な焼肉屋。

数年前まであれほど夢みていた「憧れのお店」に
足を運んでも、その瞬間は幸せな気持ちでいっぱい
になるのに、帰り道、いつもなぜか虚しくなった。


「この鴨肉は臭みがなくて、焼き加減もいいね」

「メロンのアイスに生ハム、確かに納得の
組み合わせだな」

一皿一皿、味や食感、香りを全身で味わって、
それを言語化して、感想を伝え合う。

最初はそれが、純粋に楽しかった。

自分のコメントに対して「その表現はいいね」
「さすが」と理解した上で褒めてもらえるのは
嬉しかったし、何より自分が抱いているのと同じ
熱量で、食に真剣に向き合っている人と食事という
体験を共有できる時間が、幸せだった。


けれど、気づいたら、外食の頻度も単価もどんどん
上がっていって、外食も、高級な料理も、当たり前
になっていた。

その頃からかもしれない。

食べる、というわたしにとってかけがえのない、
尊い行為が、消費するためのものになってしまった
のは。

なんか違う、と気づいた頃には、毎月の食費が
出費の半分以上を占めるようになっていた。

楽しいはずの外食を繰り返せば繰り返すほど、
わたしはますます寂しさを感じるようになって
いった。


「この味付け、この食感。最高においしいなあ」

その日コースで出された料理はどれも本当に
おいしくて、お店の雰囲気も、店員さんの接客も
とてもあたたかくて、ここ数年の中で一番感動した
三時間だった。

けれど、新しい料理が運ばれてくる度に目を
輝かせる目の前の人と反比例するように、
わたしの心は曇っていく。


「…おいしい。」

そう呟く度に、涙が出そうになった。

この味を、あの人にも、食べてもらいたい。
この空間に、あの人と、一緒に来たい。

彼はこの料理を食べたら、どんな顔をするんだろう。
なんて言うんだろう。

こんな落ち着いた雰囲気のお店は好きじゃないかな。

でもきっと、こんな料理初めて食べたよ、
おいしいねって、笑ってくれるんだろうな。

きっと。

彼に、会いたい。


「おいしかった。また来たいね」

笑ってそう言うのも、彼がよかった。

別に料理がおいしくないお店でもよかった。
何回も来たことのある近所の居酒屋でもよかった。

それでも、いつも幸せだった。

何回一緒に食事をしても、彼はいつもわたしを
同じお店にばかり連れていくことに、気づいて
いないのだろうけど。

それでもよかった。


しばらく、おいしいものを食べるのはやめよう。

そう決めた。

次に彼に会うまでは、そこそこおいしいものだけを、
お腹を満たすためだけに、適度に、食べて過ごそう。

コース料理でお腹がいっぱいなのに、なぜかあの日、
朝から彼が頬張っていたチェーン店のハンバーガーが
無性に食べたくなった。

彼が隣にいたら、きっと朝から胃もたれしても、
それは幸せな食事なんだろうなあ。

暗闇で遠くに見える赤と黄色のぼんやりした光を
眺めながら、彼の豪快に食べる姿を思い出していた。


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