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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ

●みぞおちの辺りのザワザワ感

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ。読みおわった今、みぞおちのあたりがザワザワする。
なにがザワザワさせるんだろう。

●温室で育った私

私の場合は、誰もが知る企業に勤めていた父と、税理士として事務所を構える母に育てられ、心地よい温室しか知らぬまま大人になった。ごはんや着るものに困ったことなんてもちろん無いし、それどころか大学受験で浪人までさせてもらった。

●小学校から始まる無意識の分断

私が育った地域は貧困層は比較的少なくて、概ねミドルクラスの子達が集まった小学校、中学校時代だったと思う。友達の中に明らかに生活に困っていそうな子なんていなかった。
でも、本当にそうだったんだろうか?確かに荒れた子は少なかったけど、家庭の問題を隠していた子がいたかもしれないし、私が見えていなかっただけかもしれない。
仲良いグループの子達の家庭は、今思うとだいたいみんな同じくらいの世帯収入だったんじゃないかと思う。自分と似たバックグラウンドを持つ子といた方が心地よい。当時はそんなこと考えたことなかったけど、幼い頃から無意識に分断は起こっていたのかもしれない。

●大人になっても

結婚して子供を産み、東京から電車で1時間ほどのところに家を買った。数年前から子育てしやすい街としてPRに成功しどんどん若い子育て世代が流入している新興住宅地だ。地域のママコミュニティに参加したことがあるが、皆んなそれなりの有名企業に勤めながら子育てをするママ達で、多くが4000万はするマンションに住んでいる。
現在もやはり無意識に、似た境遇の人達と群れている。近い価値観と共通言語で話せると安心する。でも私が住む地域にもそんな人ばかりじゃないはずだ。昔からこの土地に住んでて、私達とは全く異なる価値観で生活してる人もいるはずだ。私が参加していたママコミュニティはFacebookとLINE、友達の紹介を基本としていた。多様性が産まれるわけはないけど、多様性を目的としていたわけではないし、やはり分断は無自覚だ。

●ザワザワの正体

ある程度以上の所得層が集まるこの地域で子育てができて良かった、つまりは、お上品な子達が多く、悪い遊びやレベルの低い学校に行くような友達に我が子が引っ張られなくて済みそうで良かったと、言葉にしないまでも心のどこかで思っていた(今も少し思っている)。
「でも、それでいいんだろうか?」みぞおちあたりのザワザワの正体はきっとこれだ。もちろんミドルクラスの子達がほとんどである環境に間違いはない。でも、中にはそうじゃない子もいる。そういう子達はきっととても少数派だ。
人は心地の良い方に流れる。わざわざ違和感を感じに逆流する人はあまり居ない。異なるバックグラウンドや価値観を持つ人が少数ということは触れる機会も対話する機会も、エンパシーする機会も必然的に少なくなる。

●この本を読んでヒリヒリと気付くこと

世の中に絶対的に悪なんてなくて、全ての人、事柄にストーリーがある、そんなことを子どもには伝えていきたいと思っていた私だが、温室で育ち、この街を選び、「悪い遊びをするような子達がいない地域で良かった」なんて思っていることに、この本を通して気付かされてしまった。

とはいえ、今のところはこの街で夫と子どもと生きていこうと思っているわけで。分断は無意識に起こること、今の環境ではマージン(端っこ)は見ようとしないと見えないこと、このみぞおちのザワザワを覚えておきたい。


おわり

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