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おじさんと経験の話。 −白色のカラス

つい二週間前に社会人になったばかりの青二歳から、

世のおじさんに向けての話。

といっても、おじさんに限定する話でもなく、

むしろおじさん以外の多くの人も当てはまると思うのだが。


前回までのnoteは、自分から見ても割と個性的と言うか、

僕だけの「変人的な」世界の見え方を紹介できたように思える。

そしてそれ故の面白さもあったと思う。

しかし今回のnoteは、モノの見方がわかっている方々には

当たり前の話で、人によっては少々物足りなくなるかもしれない。

物足りなさを感じた人たち。

「わかっているもの同士」で仲良くしていきましょーや。(上から)



さて、世のおじさんと言うものは、(と言うと怒りだすおじさんもいそうだが)

自身の経験から失敗・成功のアドバイスをくれるものだ。

もちろん部下や若者のためを思って。(ありがとうございます。)

またこれはアドバイスなんて道徳的な行為に限った話ではなく、

日常生活で何か物を判断する度に、

あるいは人を判断する度に(特に若者を?)


自身の経験をもとに判断をしている方が大勢であるように思える。


もちろん「何事も経験しろ」などと言われるように、

経験はものすごーーーく大切なものである。

少なくとも入社二週間の私なんかよりは、

四十歳五十歳のおじさん達の方が、遥かに社会を知っているだろうし、

青い私の倍以上の時間を生きている方も大勢いる。

おじさん達、日々日々、我々若者の面倒を見てくれて、アドバイスしてくれて、

ときには怒ってくれて、本当にありがとう。



しかし、



経験は絶対的な真理ではない。



絶対的な正解ではない。



一つの指標、それも「あなたにとっての」指標ではあるが、

それが「私にとって」、

もっと言うと「世界にとって」の指標にもなるとは言えない。



突然だが、

日本に住むほとんどの人は、

今までの人生で見てきたすべてのカラスが黒色だったのではないだろうか。

しかしそのこと(今まで見たカラスがすべて黒色だったこと)が、

「この世界に白いカラスは存在しない」

ことのエビデンスにはならない。


あなたがまだ出会っていないだけで、

あるいは人類がまだ発見していないだけで、

白色のカラスが、世界のどこかで飛んでいるかもしれないでしょう?



じゃあ、絶対的な真理なんて存在するのか!しないだろう!


当然そのような意見が出てくる。


そうした絶対的な真理を求めて、プラトン以降デカルトやカントといった大哲学者達が苦悩していたわけだが、


私がここで言いたいのは、「絶対的な真理はあるのかないのか」と言う論争ではなく、


ただただ、


一経験は一経験に過ぎない、と言うことだ。


もちろん、誰かの経験談が悩める他の誰かを救う事だってあり得るし、

「お前の経験話は無駄だ」などと言うつもりはない。



今の時代、今の若者は変革期だ。

インターネットの普及、世界規模のビジネス、情報の洪水。

これまでの時代の常識や正義が、すべてそのまま当てはまるわけではない。

これまでの人が皆持っていた共通の教科書を、今の若者はそもそも持っていないかもしれない。



おじさんよ、

白いカラスは、ここにいる。



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