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学生は社会人に突然変異する。その薄さ。

講義をろくに聞かずケータイをいじったり、

時にはサボったりしていた学生が、

4月になると、新人研修で必死にメモをとる。

「元気が足りない」と言われれば大声で挨拶し、

「お辞儀が揃ってない」と言われればピッタリと息を合わせ、

姿勢を正して、大学講義の数億倍つまらない研修を頷きながら受講する。



よくありがちな光景であろうが、

私は全くそれになじめない。

気持ち悪さを通り越して、笑けてきてしまう。


もちろん仕事だから、しっかりと言われたことをこなすのは大切だ。

しかし、そういった

「めちゃくちゃ張り切った挨拶」「ピッタリお辞儀」ではなく、

「普通に」心のこもった挨拶、「普通に」気持ちが伝わるお辞儀、で十分だろう。


馬鹿でかい声を出す必要などない。相手に伝わる程よいボリュームで

「おはようございます」


私は、そうしている。



と、ここまでは一定数の人が感じる「違和感」であろう。




しかし私が気になって仕方がないのは、そうした律儀な新入社員達がもともと持っていた性格・個性の行き場所である。


言葉を選ばずに言えば、


その人達の大学時代までの性格は、社会に要請されたからといって簡単に捨てられるほど、薄っぺらいものなのだろうか。



講義をさぼっていた学生の中には、

一番前で教授の発言を逐一メモり、講義が終われば一目散に教授に質問しにいく学生を心の隅で小バカにしていた人もいるだろう。


そうした人が、なぜ、スーツを着ただけで、「小バカにされていた」側に立てるのか。



もちろん、真面目に生きることは称賛されることだ。

会社の指示にしっかりと従うことは、新卒として大変素晴らしいことだ。


まぁ現実を見ればおそらくきっと、そうしたさぼっていた学生達はどこかでボロが出たり、本性を隠しきれなかったりするものであるが、


そうじゃなくて、


私が脅威したのは、


一瞬にして自我を消し街に混ざり込む、その自我の無さと適応能力


である。



しかしそれは、少なくとも被雇用者にとってとても大切な能力だ。

自身も新社会人である私は、これからそうした仲間達と共に過ごす。


僕も早く、完璧に自我を消して街に混ざり込めるようになりたいな。





めちゃくちゃ嘘つきました。




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