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毎日更新の難しさについて考えてみた


少し前に、あるnoterさんの記事でこんな一文を見かけた。


「毎日書くこと自体は難しいことではない」


この一文だけで解釈しようとすると誤解を招きかねないので付け足すと、なにかを一行書くのも、Twitterのような場所に短文を投稿するのも、日記をつけるのも、同じ『書く』にあたる。

だから、書くことがどういうことか明確に指定されていないのであれば、人間は毎日なにかを書いてはいる、と。そんなことが書かれていた . . . 気がする。(いまはもう誰が書いていたかさえも忘れてしまった)


またあるnoterさんは、「書き切ることが難しい」という話を書いていらっしゃった。終わりにくる最後の一文まで話を一本通した上で終わる、ということだ。この話は私も頷きながら読んでいたもので、それ以来『書き切ること』という言葉が意識に焼き付いた。


そしてつい先日。折星かおりさんのこの記事を見つけた。



折星さんは私と同じで毎日更新をしていらっしゃるnoterさん。

記事を読み進めていくと、書くのがしんどいと感じる瞬間があるとのことだ。私にもしょっちゅう起こることなので、「どういうしんどさを感じているんだろう」と思いながら読み進めていくと、いくつか私の毎日更新の経験とも共鳴する部分があった。


書くことが何も思い浮かばないのに、天頂に近づこうとする時計の針。


これは、24時間以内に投稿しなければならない時間制限からくるプレッシャーのことを言っているんだと思う。「あぁ、この感覚、よくわかるなぁ . . . 」と思いながら読んでいた。


書かなければならないのに、ネタが浮かばなかったり、下書きを消化しようにも手が進まなかったりで、一向に進まないのに時間だけは過ぎていく。止まっている間にも秒針を動かすカウントダウンと共に、音もなくにじり寄ってくる影。もう何回この感覚を味わったかわからない、毎日更新の宿命ともいえる感覚だ。


そして、そのすぐ後に続く文章がさらなる共感を呼んだ。

休日にまとめて用意することも考えたけれど、私は時間があれば書ける、というタイプでもないようだった。一日に一本、書けて二本が限界。


私もまったく同じだ。一日に一本書くのがやっとで、エネルギーに満ち溢れていてフローに入れている時でも二本が精いっぱいだ。

書くことにはエネルギーが要る。でも余力があるからといってスラスラ書けるわけでもないので、ことはそう単純ではない。


なぜしんどくなるのかというと、その日の気分とかノリが文章を書くノリではないからかもしれないし、身体的に、あるいは精神的に疲れているからかもしれない。あるいは、書くことにおいて壁にぶつかっている『スランプ』にいるから、という可能性もある。

書きたい気分の日で、なおかつ書きたいことが明確にわかっている時はものすごい勢いで手が進む。30分も経たないうちに2000文字ぐらい軽く打ってしまうこともある。けれども、残念ながらそういう日ばかりではないのが人生だ。


仮にエネルギーに余裕のある日であったとしても、その日の気分とかノリ次第ではまったく手が進まないこともある。書きたいことはあるのに、どうしてもそのことを書こうと思う気分でなかったり、なにかが書き進めることを阻んでいると感じるほどに手が重いと感じる日もある。ネタを思いついたはいいものの、200文字ぐらい書いたらまったく先に進まない、なんてこともザラにある。


書こうと思っていた内容がまったく書き進められなくて、「これは一旦寝かせようか . . . 」とやむを得ず下書き入りさせて、別の内容を書き始める時もある。(そのまま書けない時もある。そんな時に限って、"言葉には賞味期限があります"という内容の記事を見つけてしまったりするから、実に耳が痛いとばかりに苦い顔になってしまう)


書くこと自体はできたとしても、読み物として成立させるために整えていく段階もあるので、完成品が世に出るまでには、完成品だけしか目にしていない読み手には想像がつかない労力がかけられているのだ。


毎日更新の難しさとは


さて、ここで本題に入ろうと思う。

毎日更新の難しさは、ここまででもある程度触れてきた。

けれども、一番は『書き切ること』にあるのではないかと最近は思っている。


もっと詳しく言うとこうなる。


24時間という制限時間以内に、自然な話の展開であると同時に読み手にもわかりやすい文章(起承転結を意識できている、誤字・表記ゆれがない、など)で、一定以上の水準を満たす記事を『毎日書き切ることが難しい


なぜしんどく感じるのかという理由は、先ほどちらっと触れはしたものの、枚挙に暇がない。身体的な理由もあれば精神的なものもあるし、それ以外も当然ある。けれども、ここまで続けてきた私がしばしば感じる難しさ(しんどさ)は、『毎日書き切ること』にある。

限られた時間のなかで、読み物として成立する基準を満たした上で、最後まで書き切って投稿する。

シンプルかつ当たり前のようでいて、これを毎日やり切るとなると、相当に骨が折れることであるのは私の経験から断言できる。


読み物として成立する基準を細かく書くと、主にこんな項目になる。

・起承転結 (話の流れが自然かどうか)
・誤字脱字、表記ゆれがないかなどの確認作業ができているか
・推敲 (時間を置いて読み直すことも含む)
・読みやすさ (読み手にやさしいわかりやすさ、堅い言葉とか専門用語をドヤ顔で多用しない)
・タイトルを付ける (個人的にここが一番難しい)


たったひとつの記事であったとしても、ここまで考えることがあるし、投稿したからといって「はい、note(ブログ)のことは当分考えなくてよし!」と、ピタリと考えごとが止むわけではない。今日には今日の、明日には明日の一本を投稿する必要がある。


今日の分を投稿してひと安心すると今度は、「あぁ、あそこは"〇〇"って言い方に直したほうがいいかな」「同じ表現を短い間隔で使ってしまってるな」と気になる部分が出てくる。投稿を終えた途端、自分で書いた記事を俯瞰できるようになっているのだ。そして、それが終わると今度は明日の一本についての考えを頭のどこかで巡らせ始める。


そう、毎日更新を続けている私たちの頭のなかでは常に投稿する内容について考えている。投稿する内容について考えるために、脳をかなり長い時間使い続けなければならないし、書く時にも頭をフル回転させると同時に体力も使わなければならない。. . . 時には、精神力さえも。


脳が毎日更新から解放されることがないから、ある時突然「少しでいいから休ませて」と私たちの脳を、そして手を硬化させる。その状態に陥っているところを「あと一歩 . . . あと一歩だけ . . . 」と押し進めることができる力がある日ならどうにか書ける . . . 時もある。けれども、残念ながらそういう日ばかりではないのが人生だ。(大事なことなので二回書いた)


どうしても手が進まない日。書く気分ではない日。時には、noteのことを考えたくないと思う日だってある。「やる気がない時でもとにかく手を動かす」という根性論だけでどうにかできる時ばかりではないし、私のようにそれができないタイプの書き手もいる。


毎日書き切ることを続けるということは、それほどまでに体力も、精神力も、書く力も、読む力も消耗することなのだ。


それに、テーマを特化させていればいるほどネタ切れを起こしやすくなる。いくら私たち独自の経験がたくさんあるといっても、脳から無尽蔵にネタが出てくるわけではない。時々別のテーマで書く日を設けたり、短い文章で更新する"休み"の日を設けることで、脳をリフレッシュさせる必要がどこかで必ず出てくる。


精神的な波にも影響されず、毎日決まったテーマについて書かなければならないとなると、もはや修行僧の域になってくる。少なくとも、いまの毎日投稿で手いっぱいの私にとっては、想像もしたくない苦行だ。


それでも、毎日高い水準の記事の投稿を続けている方々を見ると、「これほどのものを毎日書いてるのかぁ . . . 」と唸ってしまうほど、心の底からすごいと思う。それに引き換え私は価値のある投稿ができているんだろうかと、時々考えてしまうほどだ。


といいつつも、毎日なにかしら書き切ることを続けられていることを考えたら、結局は「始める前を思ったら十分よくできてるんじゃないかな」という考えに落ち着いて元に戻る。


そんな、簡単ではないことを曲がりなりにも続けているはずなのだけれども、「続けられていてすごいです!」と言われると途端に、「(そんなたいしてすごいことをしてるとは思わないんだけどな . . . )」と思うから不思議なものだと我ながら思う。


毎日書き切ることに精いっぱいな私の文章が果たしてどんな価値をもたらしているのか、それは書き手の私から想像するのは難しい。

けれども、どの記事も、緑のボタンを押すまでにたくさんのことを小さい脳のなかで考えて送り出した、紛れもない私の言葉たちだ。


それをどこかにいる誰かが楽しみにしてくれていたり、考えるきっかけにしてくれているのであれば、これほど嬉しいことはない。


自分の続ける力を養うために始めたことではあるけれども、それが誰かの心に届くといいなと思いながら、私は今日も脳を働かせている。(いつも酷使してスミマセン。感謝しております。)

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